さて…――サケ・カップから日本酒をぐびりと飲み干したベルンは、じっと前方を見つめた――目の前のこいつが何なのか、もう一度じっくり考えてみるとしようか?
「ヘイ、ラッシャイーッ」
「らっしゃいーっ」
赤ら顔で満足げに出て行った初老の男と入れ違いに店に入ってきたのは、明らかに日本人と判るカップルだった。異国の地で日本食が恋しくなったのだろう。
「ねえ、天丼って英語で何て言う…?」
「え、判んない、そのまま言っちゃえば?…」
入ってきた男女はベルンのすぐ後ろでひそひそと相談していた。計画性がないな…基本的な英単語ぐらい覚えてから旅行に来るものだ。もしくは辞書を持ち歩けばいいのに。 仕事柄様々な国の人間と出会う事の多い彼は、国際的に使われる大体の言語は殆ど解るようになっていた。
「えーとすいません、天丼ってあります?」
「テンドンカツドンオヤコドン何でもあります」
「何でもあります!」
「あるって!――じゃあそれ二つ、」 男は指を二本立て、「二つプリーズ!」
やったね、と嬉しそうにカップルはベルンより二席ほど離れた所に座った。
――お前達…こいつが気にならんのか…!?
ベルンは背を向け揚げ物をしている男…男?の後姿を凝視する。酔いが回ってきて益々こいつが何者か解らなくなってきた。
彼の職業の性質上、普段は何かと大勢の人間と豪華な店で食事をする事が多いのだが、元々ベルンは一人が好きだった。 人付き合いが苦手という訳でもないがあまりお喋りはしない性格だ。出世にも興味がないのでお世辞も愛想笑いも得意ではない。 一人で静かに構想を練るのが好きで、誰かと食事をしていても上の空になる事がしばしばである。 それに彼はただでさえ気難しげな顔なのに、そうして考えに耽っている時は誰もが声をかけるのを躊躇われるような表情になる事が多い。
とにかくそれらの理由もあって今日の様にオフの日は、ロケハンも兼ねて様々な料理屋へ足を運ぶのが彼の趣味でもあった。有名店などではなく、街角にひっそり建っているこぢんまりとした店が好きだった。 以前一度仕事で日本に行った時に食べた料理がいたく気に入っていたので、その日本料理店を見つけた時、ベルンは吸い寄せられるようにして店へ入っていったのだった。
――そしてそこに、"そいつ"がいた。
自ら料理をしている店主はヒゲを生やした人の良さそうな男で、日本料理を作っているが日本人ではないらしい。イギリス系の顔立ちとアクセントだ。 その隣で踏み台に乗って(ゲタまで履いている)鉢巻を締め、葉巻を吹かしているこいつ。
――どうして…誰も何も言わないんだ…
店主の科白を繰り返し一緒に接待をしているこの男を、店主はにこにこと見守っている。他の客も特に気にしている風もない。 背丈だけ見ると子どもに見えるが、問題はそんな所ではない。…こいつは人間か?
「うまいな、このテンプラ」
ベルンがそう呟くと、そいつは笑顔で振り向いて言った。
「ハハァだろう!? オレの自信作だ!」
――フム。どうやら言葉は通じるようだ…しかも料理の腕も相当だ。テンプラを食べながらベルンは考えた。何気なく訪れた料理屋で謎の生物との遭遇。なかなかいいかもしれん。 彼は常に携帯している手帳を取り出してそれを書き留めた。頭がハッキリしている時だけでなく今の様に酔っている時や夢から覚めたばかりの時など、いいネタがあれば何でもこういう風にその場でメモをしておくので、彼の手帳はどんな優秀な暗号解読係りでも決して読み解けないような文字の宝庫だった。
「ごちそうさま、おいしかったです!」
「えーとデリシャス!サンキュー!」
食事を終えたらしい日本人のカップルが店主に代金を支払い、出て行こうとすると、
「おっとちょっと待つんだお前ら!」
テンプラをあげていたそいつが大声で二人を制し、カウンターにバン、と何かを置いた。
「こらキース、お客さんにそんな言葉遣いをするんじゃないよ」
キース…とそいつは言うらしい。
名前があったんだな、ベルンはそんな当たり前の事に些か驚愕した。外見に反しまともな名前だ。
「おっとすまんな、お客様お前達こいつをお読みになってみろ!」
店主に窘められたキースはカウンターの上に置いた立派な本をパララとめくってカップルに差し出した。
おや、とベルンは眼を向ける。そういえば先程出て行った初老の男にもあれを読ませていた。その時はそれよりも意識がキースの方に向いていたのだが、そういえば何だろうあの本は。 黄味がかった薄い茶色。その本の色を見て彼は、最近何度か一緒に仕事をしているハニーブロンドの女優の髪の色を思い出した。そういえばテンプラの衣の色にも似ているかもしれない。 ブロンドとテンプラの色が似ているというのは新発見だな、もぐもぐとテンプラを食べながらそんな事を考えていた。
「何?これ英語?何語?たっくん読める?」
「全然読めねえ。あの、何ですかこれ?」
それまでわくわくした表情で二人を見守っていたキースは、カップルの言葉を聞いた途端、目に見えて肩の力を落としうなだれた。カップルも何か悪い事をしたのかと、思わずおろおろと謝っている。
「ああすいませんお客さん、どうぞお気になさらず。――キース、残念だったね、でもまだまだ人は沢山いるよ、がっかりするな」
「…フ…ハッハッハ、誰ががっかりしてるって!?」 誰がどう見てもがっかりしていたキースは勢いよく顔をあげ、「キース様は落ち込んでなどおらんわ!そうだ次があるとも!」
「お客さん、よければまた来て下さいね、ゴヒーキに」
「ご贔屓に!」
店主とキースにそういわれたカップルは戸惑い顔で「は、はあ…」と返事をして、今度こそ店から出て行った。
「さすが海外だよね、きぐるみ着た人が料理作ってくれるんだもんね」
ブッ。去り際に聞こえてきた女性の言葉にベルンは軽く酒を噴出した。さすが日本人。成る程彼らはキースのこの珍妙な外見をきぐるみだと思っていて、だから何も言わなかったばかりか笑顔で眺めていたりしたのだ。特殊メイクなどで目が肥えている彼にすれば、こいつがきぐるみなんかでない事は一目瞭然だ。 という事は先程の初老の男もキースをきぐるみだと思っていたのだろうか。それともおかしいのはオレの眼で、こいつはやはりきぐるみなのか?
落ち込んでいないと言いつつ本に手を突きとてもとても深い溜息をついているキースをちらりと見る。…いやあ、本物だろう…。手とか…スプリングだよな…と、その手の置かれた本のページに眼が吸い寄せられた。 本当に訳の解らない文字だ。初歩的な英語すらままならなかったあの日本人にこれは無理だろう。しかし何語だろうか、解らない文字はギリシア語と相場が決まっているものだがそうでもないようだ、文字というよりも模様に近いかもしれない。
「…何だ、お前」
キースの怪訝そうな表情が目の前にあった。気がつけばベルンはテンプラをかじりながら椅子ごと移動し、本を覗き込んでいた。彼の癖だ、何かに熱中すると周りの事が全く頭に入らず、無意識に何かをやってしまっている。 そしていつもと同じくベルンはマイペースに返事をする。
「これ。ここだけ色が違うんだな…変わった作りだ、何と言う本だ?」
ガチャンッ。
びくりとして音のした方を見ると、目を見開いた店主が皿を落としていた。ぱっと顔を戻すと目の前のキースも口をあんぐり開け、葉巻がぽとりと床に落ちる。 今、ちょうど店内にベルンしか客はいない。だからこの奇妙な沈黙に耐え切れず言葉を発するのも、ベルンだけだった。
「…どうしたんだ?」
「お前ェっ!!」
殆ど同時にキースがいきなり身を乗り出してきた。
「ここ、違うといったな色が確かだな、違って見えるんだなお前にはここの色が!本当だろうな私を騙していたら許さんぞ!」
「落ち着きなさいキース落ち着いて静かにキースお客さん貴方本当にパートナーちょっときちんと本を」
「二人とも落ち着いてくれ」
ベルンはカウンター越しに目の前で揃って深呼吸を繰り返す二人を大人しく見ていた。色が違って見える。それがそんなに重要な事なのだろうか?
「――よし。おいお客さん、お前は、この本の、ここが、色が違って見えるんだな?」
「ああ」
「色が違うだけでなく、読めるか…ここに何て書いてあるかお前は読めるかっ!?」
凄い剣幕のキースとその隣で真剣な表情をしている店主を見ながら、えらく必死だなと他人事の様に考えつつ、ベルンはもう一度キースが持っている本を見た。 そういえば…読める。ベルンはページに触れ、その行を指でなぞった。不思議な感覚。口が自然に動いた。
「――ギニス?」
ベルン、職業は映画監督。
飽くなき創作意欲の結果として、今まで何かとサプライズな経験を数え切れないほどしてきたものだ。 そしてたった今目の前で起こった事は、彼の人生における心に残った事件ベスト5入りは確実といえる。
ビームが出た。
自分を指差していたキースの手からビームが出た。
頬をかすめ彼の長い髪の毛を微かに焦がしビームは店の壁に穴を開けた。
「…ブ…ブラボォーーーーッ!!」 キースが嗄れんばかりの大声で、「見たかリッキー見たかァ私はやったぞ!!」
「ああキース、素晴らしい!遂に!遂に見つかったのだね!」
一時停止をしたかのように完全に固まっているベルンを余所に、店主とキースは抱き合って喝采をあげている。もう酔いも完全に醒めた。
「ハッハァ、やったぞやったぞやったぞ私はやったぞ!ここからキース様の武勇伝が始まるのだ!っとスマンなリッキー店に穴を開けてしまった!」
「いいんだこのくらいやっとお前のパートナーが見つかったのだから祝砲さ!あ――お客さん」 キースを抱き上げたままで店主がベルンの方に顔を向けた。 「すいませんが少々お話したい事があるのです、お時間宜しいですか?」
店主の目は優しいグレイだった。その瞳を見つめつつ、ベルンは手帳にまた無意識に、こう書き込んでいた。
手からビーム



「私はリカルドといいます」
表にCLOSEDのプレートをかけ、通された奥の座敷で見事なセイザをした優しい瞳の店主はそう言った。
名前はスペイン系だな。二世か何かだろうか。店主の隣では大事そうに本を抱えたキースも同じように綺麗なセイザをしていて、ベルンも二人に倣おうかと思ったのだが、やはり巧く座る事が出来ず普通に足を組んで座っていた。この店主はよほどの日本通だな。
「私はベルンです」
「ベルンさんですね。この子はキースです」
店主はキースの頭に手を置いて一緒に頭を下げさせた。つられてベルンも礼を返す。
「ベルンさん、今から私は順を追ってご説明します、普通ならとても信じられないような事を。でも貴方先程この子の不思議な力を見ましたね?ですから必ず信じて頂きたいのです」
ベルンの反応を確かめてから、更に一呼吸おき、店主は真剣な表情で言った。
「キースは魔物なのです」
――は?
ベルンは表情の変化があまりない方だったので、その疑問もあからさまに顔に出たりはしなかった。けれども現在彼の頭には特大の疑問符が浮かんでいた。
「私も最初は信じられませんでした、しかしこの子の力を見れば信じるしかありません。この子のいた世界――つまり魔界と言う奴ですが――は、現在次なる魔王を決める為の戦いをしている最中で、その王候補に選ばれた魔物の子100人がこちら、つまり人間界へ送られてきているのです」
…こいつ子どもだったのか…。店主の話で何よりもまず脳が理解できたのはその部分だった。しかしまあ人間よりは魔物と言われた方がよほど納得できるな、そうか魔物か…しかし子ども…葉巻…まあ魔物だからいい…のか?…
「魔物の子達にはそれぞれ一人ずつ、人間のパートナーがつく事になるそうです。キースはこちらへ来てから随分パートナーを探し回ったようで…いや、あの日は驚きました、開店準備でノレンを出そうと扉を開けたら、この子が店の前に倒れていたんです」
「あれは大変だったなあ、葉巻も底をついたからな、このキース様ももうダメかと思ったわ。それでリッキーが店に運び込んでいも天を食わせてくれたのだ!」
「そうそうあの時のキースの喜びようときたら、思い出してもおかしいよ」
「それだけ旨かったんだリッキーのいも天が!あれは芸術の域だな!」
「そしてこの子、キース、私に何かお礼がしたいと、何と自分にも料理を教えてくれと言いましてね。ご覧の通り私一人で経営している小さな店、最初は冗談半分で教えていたんですがまあこの子は筋が良くて。ベルンさんも食べたでしょう、テンプラ」
ベルンは頷く、「ええ、あれは絶品でした」
「油の加減が難しいんだがな」
「そうそう、でも上出来だよキース、充分プロとして通用する。最初なんかほら、温度は180度だって言ってるのに200度ぐらいまであげてたろう?」
「ハッハッハ温度は高い方がいいと思ってたからなハッハッハ」
「アッハッハその豪快さがお前の良い所だね。そうそう飾りつけなんかもうんと綺麗になって――ああすいません何の話でしたっけ、そうパートナー、です」
ベルンそっちのけで和気藹々と料理の話をしていた二人は、思い出したように真面目な表情に戻った。
「魔物一体につき本の使い手の人間も唯一人、それはどうやって見分けるか?」 キースは膝に抱いていた本を掲げる、「それはとても簡単だ。この本、ここに書かれた呪文、それが読めればパートナー、だ」
待て。
突然ベルンの頭に様々なピースがバラバラと放り込まれ、それがとてつもない速さで一つのジグソーパズルを完成させていった。
読めたらパートナー。王を決める戦い。魔物。ブロンドと同じ色の本。ギニス。手からビーム。本の使い手の人間は唯一人。呪文。それが読めたらパートナー。
「それは、つまり、」 ベルンは眉間を押さえながら、その言葉をぽろりと口から落とした。 「私が、キースのパートナーであると、そういう?」
「その通り」
二人の声が美しく重なった。
「盛大に喜ぶがいい!お前は名誉あるキース様のパートナーに選ばれたのだ!」
「キース、喜ぶのはお前の方だろう」
それを口にしたはいいもののベルンの頭の中では再びパズルがボロボロと崩れだしており、続きの言葉を紡ぐ事がすぐにはできなかった。沈黙してしまったベルンに、店主は「お願いします!」と畳に手をついて頭を下げた。ドゲザ。この店主は本当に日本通だ。
「あまりにも突然で、あまりにも常識を超えた話、驚かれた事でしょう!いきなり一緒に戦えだなんて言われてもすぐには頷けないお気持ち承知しています!本当ならば私がこの子と一緒に戦いたい所、しかし残念ながら私には本が読めなかった!」 店主は顔だけをあげ、「キースは店に来るお客様一人一人に本を見せ、ずっと自分のパートナーを探していたのです!貴方やっと出会えたパートナーなのです!迷惑おかけするでしょうがこの子はいい奴です、どうかキースを助けてあげて下さい、お願いします!」
優しいグレイの瞳が潤んでいる。ベルンは困った。こういう人が悲しんでいるのは苦手だ。本当に突然の事で、全く考えに整理がついていなかったのだが、店主を悲しませたくない為に、ベルンはこう答えたのだった。解りました、と。



店の前。便利にもステッキで点火をした葉巻を上機嫌にふかしているキースにベルンは話しかけた。
「いいのか、キース…オレは迎えに来るからあと何日でもここにいればいいのに、こんなに急に」
「バカ者、やっとパートナーが見つかったのだ!旅立つのは早い方がいいに決まっている!――それにな」 それまで元気だった声がふっと静かになる。 「早く行かねば、尚更別れるのが辛くなるだろうが…」
ベルンがはっと顔を向けたその時、ガラガラと店の中から店主が顔を出した。何か包みを持っている。
「キース、これ、お前の好きなイモテンだよ。急いで揚げたから味は完璧ではないかもしれないけど、ベルンさんと一緒に食べてくれ」
「リッキー…」 そっと手渡された包みをキースはしっかりと受け取った。 「――今まで本当に世話になった、決して忘れんぞ!!」
「私もだよキース、今まで一人でやってきていたからお前がいてくれて本当に楽しかった。これからはベルンさんと頑張るんだ、王様になれたら私にも教えておくれよ」
「当然だ、一番にお前に知らせにくるとも!リッキーも世界一の日本料理店店主になれ!なあにリッキーの腕前なら朝飯前だ!」
「アハハ、じゃあ二人とも約束だね」
店主の顔が笑いながら泣いている。こちらからは表情は窺えないが、きっとキースも同じような表情になっている事だろう、二人とも声が震えている。
ここで二人の顔を交互にクローズアップ、今までの思い出をフラッシュバックで挿入。
こういう時でさえそんな事を考えてしまう自分にもう苦笑すらおこらない。それは既に彼にとって呼吸の様に自然な事で、ライフワークであったのだ。
「また、必ず、会おうね、キース」
堪えきれずに店主が涙を零しながら、キースを優しく抱き締めた。キースは「ああ、ああ、勿論だ!」と繰り返し店主の背中をぽんぽんと叩いている。 ――それを見てベルンはまた困ってしまう。キースにはパートナーである自分がいるからまだいいとして、この優しい店主はこれから先また一人になってしまうのだ。 自分がキースを連れて行く――というかキースがついてくる――事は、この人を酷く悲しませる事になるのだろう。
――ああ…そうか、成る程。ふとベルンは気付いて頷いた。
だったら早くキースを王にして、またここを訪ればいいのだ。そうすれば店主もキースも素晴らしい笑顔を見せてくれるに違いない。
「それではベルンさん」
考えに耽っていたベルンにすれば非常に珍しく、自分にかけられたその声に気付く事が出来た。キースと別れを済ませた店主が、気付けば彼に深々と頭を下げていた。
「キースを宜しくお願い致します」
先程よりは幾分か――いや、遥かにはっきりした声でベルンは答えられた。解りました、と。


「まあ何だな――ベルンだったなお前――これから宜しく頼むぞ!なあに、言っておくが私は強いとても強い、すぐさま王になれるから安心しろ!」
「ああ…リカルド氏とも約束したしな」
夕暮れの中をぶんぶんとステッキを振り回しながらずんずん歩いて行くキースの後を追いながら、ベルンは答えた。 こいつはどこへ行っているのだろう。胸に抱いている、店に入る前には手にしていなかった大きな本の感触を感じながらベルンは思う。明日からまた仕事だし一旦ホテルへ帰らねばならないのだが。そうだ今日中にシナリオにも目を通しておかないと、シナリオはこの鞄の中に――そういえばデジカメの充電も――
「聞いているかベルン、いも天をやる!食え!」
再び思考が別の世界へ入りかけていたベルンは、キースの声と、実に旨そうなテンプラの匂いによってこちらへ戻ってこられた。 先程店主に貰ったものだろう。見れば既にキースはイモテンを口にくわえてぱくぱくと食っている。何か包みを、と一瞬躊躇ったが、あまり細かい事に拘らない天性の性格の為にベルンは油たっぷりのイモテンをそのまま手で受け取った。
「リッキーのいも天は本当に美味いからな、オレもいつかこの味が出せるようになってやる!」 また涙が出そうになったのか、ハッとしたキースは声を張り上げた。 「そうだベルン!リッキーにも色々教えて貰ったがオレはまだこの世界の事をよく知らん!その事も頼んだぞ、教えてくれよ!」
「この世界の事か…」
とりあえず家にある映画を全部観させるか。まずそう思った。彼は映画監督である前に相当のシネ・フィルであったので、そのコレクションも半端な数ではなかった。
しかし子どもを育てた事はないからなあ、よく解らんな。子持ちの職場仲間の経験談をもっとよく聞いておけばよかったか、とベルンは今更思う。彼はこの手の事に関しては本当に疎かった。 子どもの情操教育には音楽がいいと聞くし、祖国が生んだ偉大な音楽家、ルートヴィヒ・ベートーベンの曲でも聴かせてみようか。確か家にレコードが何枚かあった筈だ。
「キース、音楽は好きか」
「ム!? ああ好きだぞ!歌うのはもっと好きだ!」
よし、ならいいだろう。他にオレの教えられる事といえば――それはやはり映画監督の仕事や、撮影技術についてなどだろう。いいかもしれない、とベルンは思う。こいつにそういう事を基本からきっちり教えて、オレの助手をして貰えば――料理の腕から見ても解るように憶えはいいようだし――こちらは一緒に闘うのだから、ギブアンドテイクだ――さてまず何から――
一人ベルンが胸躍らせ始めた時、三つ目のイモテンを食べ終えたキースがまた声をかけてきた。
「そういえばベルンお前、私に質問を全然せんが――あれだぞ、魔物と闘うのだぞ、大丈夫なのか?」
ああ、と思い出したようにベルンは訊いた。 「魔物というのは、皆お前と同じような姿なのか」
「何だ妙な質問だな!フン魔物全てがこのキース様と同じ姿であってたまるか!そりゃあ一族であれば多少は似ているが、基本的には姿形は全く違う、使える術も様々よ!」
ぴたりとベルンが立ち止まる。
「――術も、だと?」 ん?とキースが振り返る、「術も違うのか、皆お前がさっき出したようなビームじゃないという事か?」
「当然だ、水やら炎やら風やら…属性は同じであれど100体が100体覚える術は全て違う。ああ勿論術は一つだけではないぞ、勝ち進むうちに5つも6つも新しい呪文がどんどん本に現れる」
何という事だ――ベルンは無意識に本を強く抱き締めていた――何という事だ!キース一人だけでも一生に一度お目にかかれるかどうか解らない逸材だというのに、それがまだあと99人!皆それぞれ違う姿に違う呪文!ああ――何という事だ!
その時ベルンは感じていた。彼の大好きなこの感覚――どんな大作を完成させた時にも、自分の納得の行く作品が作り上げられた時にも、自分の作品が高い評価を得た時にも、それら全ての時に味わう気持ちも到底比べ物にならないこの感覚――作品を、作りたくて作りたくて、たまらない。それが彼の最も愛する感情だった。 王を決める戦い。100人の魔物の子。呪文。ブロンドと同じ色の本――久しぶりだ。ここまで抑えきれないほどの高揚は。ベルンの頭の中では凄まじい速さで構想が出来上がりつつあった。
魔物の戦い。是非これを題材に、映画を。
「キース」 わくわくとした声で新しい相棒の名を呼んだ。 「必ず勝ち進もう。オレも全力で協力する」
クランク・イン。この物語の始まりは、ここからだ。クランク・アップはこいつが王になった時――いや、それからまたあの店へ行って、リカルド氏と再会した所がいいだろうか。
「おおおおそうか!良い心意気だベルン!私のパートナーであるからにはそうでなくてはな!」
「キース、オレは今ホテルへ泊まっている。今日はそこへ帰るぞ、まずこれからの事を色々と話し合わんと」
今は人通りが少ない時間でよかった。そう思いながら大はしゃぎのキースを促し、ホテルの方角へと足を向ける。 出だしはどうするかな。まずそこで観客の心を掴まないと…と考えた所でベルンは先程手帳にメモした事を思い出した。
何気なく訪れた料理屋で謎の生物との遭遇
なかなかセンセーショナルな始まりだ。映画監督の男は、酷く満足そうに頷いた。
そこで彼は、まだ手にイモテンを持ったままであった事に気がついた。手が油まみれだ。まあいいか、帰ってから洗えばいい。前方をぴょんぴょんと跳ねながら歩いて行くキースの背中を眺めながら、ベルンはまだ熱いイモテンをぱくりと一齧りした。
それはとても美味かった。






21巻中表紙見てからずっと書きたかったハニースィート出会い話。やっと書けた…!割と短い話の筈だったのに想像以上に長くなって自分でびっくりです
ベルンはとにかく映画ばかがいいなあとか、あの料理店のおっちゃんとキースはがっちり信頼築いてそうだなあとかそういう事を色々つめこんでみまちた!あと監督は独身希望なのでキースと仲良く一緒に料理作ってたらかわいいな!

05.10.28



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