クリスマスだな、と呟いたバニキスは、その言葉を口にする事がこの場で最も似合わない背徳的な男だった。
その言葉が耳に届いたリオウは首を傾けて「クリスマス?」と問い返してあげた。
「何だそれは」
「知らねえのか?勉強不足だねえ、リオウ様」 ブラッシングの手を止めて彼はリオウの髪に触った、「こんな聖母の花みたいな髪を持ってる癖に」
一時間以上同じ体勢でバニキスに髪をとかされ続けているリオウはうんざりとした口調で、「どうでもいい。それよりいい加減オレの髪で遊ぶのをやめろ」
「遊ぶ?身嗜みを整えてやってるんだろ?お前は髪の量が多いからよ、時間がかかるんだ」
そう言いながらもバニキスはブラシを机の上におき、自分の髪を撫で付けながらベッドから立ち上がった。やっと解放されたリオウは溜息をつく。バニキスはそのまま楽しげな足取りで扉の方へと向かった。
「どこへ行くんだ、バニキス」
「オモチャで遊んでくるんだ」 バニキスは振り向いてにこりと笑った。 「クリスマスだから」
部屋を出て幾らも歩かない内に出くわしたのはラウシンだった。バニキスの顔を見た彼は一瞬ぎょっとし、それからまずい奴に会った、とでもいうような苦々しげな表情になった。この男は心底バニキスが苦手らしい。
反対にバニキスの方は彼のそんな表情を見て実に愉快そうに「よお」といい、大柄なラウシンの肩に腕を回した。
「丁度いい所で遇ったなラウシンさんよ、あんたも来な」
「オレは部屋へ戻るんだ離せザルチムと色々話しておく事があるんだお前の相手をしている暇は一秒だってねえ触るな一人でどこへでも行け」
素晴らしい滑舌の良さで言い切ったラウシンはさっさと歩いて行こうとするが、いつでも他人の都合など気にしないバニキスは強引に彼を引きずっていく。
「ハッ、ほっとけよザルチム君なんかよお、こっちでもっと楽しい事やろうぜえ」
「やかましい離せ!オレは帰ると言っているだろうが!」
抵抗を続けるラウシンをバニキスはちらりと見、一言言った。
「リオウに言うぞ」
ビキッとラウシンが硬直する。
このファウード内で事実上一番の力を持っているリオウの名を出す事でバニキスは常日頃から様々な我侭を押し通している。 何も悪い事はしていないのだからリオウにチクられた所でラウシンにも本来なら不都合はないのだが、この男の事だからどれだけ事実を捻じ曲げて伝えるか想像がつきすぎる。しかもリオウもそれをあっさり信じるのだ。 別に自分の事は構わないのだが、ファウード復活の為に色々と尽力しているザルチムの事を考えると、立場が不利になるという事態は避けたかった。
よって今日もラウシンは、この上なく不本意ながらバニキスに引きずられていくしかないのであった。
「そうそう最初からそうやっていい子になっておけばいいんだよ、まあオレは反抗的な奴も大好きだがな」
こいついつか張り倒してえ…そう思いながらラウシンは広い廊下をひきずられていった。



「帰れ」
「お呼びじゃないのよ」
バニキスの姿を見るなり容赦なくそういったのはアドラーとカーズである。
彼らがよく集まっている大広間では今日は魔物達も交えて仲良くお茶会をしているようだった。数名姿が見当たらないがどうやらお出かけ中のようである。ティーポットを持ったアドラーはラウシンを捕まえたままのバニキスにつかつかと歩み寄り、睨みつけた。
「いつもいつも来るんじゃない、さっさと失せろ、目障りなんだ」
「つれないねえ、たまには歓迎してくれよ」 身を屈め、「そんな怖え顔してたらちゅーするぞ」
「してみろ貴様の薄汚い骨も残さず焼き尽くす」
険しい表情のアドラーに対し、それを見下ろすバニキスは実に楽しそうだ。ここにいる者ほぼ全員が一度は必ずこの男に遊ばれているが、中でもアドラーはその生真面目な性格が災いし、バニキスによくからかわれている者の一人であった。
「おいお前、アドラーに何かしたら許さないからな」
温かい紅茶の入ったティーカップを両手で持ったファンゴも側に来て言う。
「はいはい解ってますって、おちびちゃん」
「お前いい加減に離せッ!!」
我慢の限界がきたラウシンが怒鳴ると、バニキスもやっと手を離す。ゼーゼーと荒い呼吸をしているラウシンに、「お疲れ様」とチータがカップを差し出した。
「チータちゃんオレには?」
「外に流れてる水でも飲んでろ」
間髪いれずにアドラーが言った。
「おいおいお前ら冷てえなあ?今日はクリスマスだってのによ」
その言葉に茶を噴出す人間数名。
「お前がそんな言葉口にするな神への冒涜だ!」
「今何か言ったかしらバニキス」
「変な言葉が聞こえたんだけど」
クリスマス、がどういうものか知らない魔物の子はそれぞれパートナーに尋ねているがそれどころではない人間の方が多い。こいつの口からクリスマスなどという単語が飛び出すというのは悪魔が聖書の言葉を引用するようなものである。
「別にオレはベツレヘムの幼子を祝福するつもりはこれっぽっちもねえさ、ただ楽しくやりてえだけだ」
最低だ最悪だという声があがりまくったが当の最低男は知らん顔である。カーズが淡白に言った。
「お前は間違いなく地獄落ちだ」
「いいねえ。天国より地獄の方が楽しそうじゃねえか?」
そんな中、隅っこの方でギャロンと一緒に砂糖たっぷりの紅茶を飲んでいたジェットがぽつりと呟いた。
「クリスマスか…いいな、サンタさんが来るんだ」
――ざわっ…と部屋の中が妙にどよめいた。
「ジェットよ、何だサンタさんとは」
「トナカイのひくソリにのって良い子にプレゼントをくれるお爺さんだ、ヒゲがカッコイイんだ!」
「何プレゼント!? 私も貰えるか!?」
「そうだなギャロンは強くてカッコイイからな」
右手を握り締めたジェットはきらきらと目を輝かせながらギャロンに説明している。
「サンタさんって言ったわよね、彼」
「ええチータ、私もそう聞こえたわ」
「あいつは…本気で聖誕老人を…」
「え?シェンダン?――ラウシンあんたサンタ知ってんのか」
「お前オレの国を何だと」
「『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』という映画があったな」
「アドラー、サンタさんって?」
「ああ、ええと…前も一度教えたかな、ヴァイナハトマンの事さ」
陰鬱な風貌のジェットの口からサンタさんという夢溢れる言葉が飛び出した為に人間達は少々ひるんでいたが、彼の言葉に飛びついたのは子ども達(一部)だ。


「おい本当か、勿論このキース様も貰えるのだろうな!」
「オ、オレは?アドラーに言われた通りお行儀よくしているぞ」
「お前は髪が逆立っててカッコイイから貰えるだろう」 既にプレゼントを貰える条件が『良い子』から『カッコイイ』に変わっている。 「お前は…どうかな。強いがベートーベンがなってないからな」
「何だとお!? 私の歌の何処がなってないというんだ!サンタが来るしかない歌唱力だろうが!」
熱く口論を交わしているキースを見て、カーズはベルンに言った。 「ベルン…とめないとキース坊ちゃんは本気の様よ」
「オレにはとめられん」
子どもを放任気味のベルンはあっさり答え、アドラーに紅茶のお代わりを注いで貰っている。しかしキースにベルンお前もこの失礼な奴に何か言えとか何とか言われ、しばし考えた後にジェットではなくキースに言った。
「キース、ヴァイナ…サンタクロースは双子でな。片方はプレゼントをくれるが、もう片方は黒と茶色の服を着ていて、悪い子にお仕置きをするんだ」
「あ、そうそう」 アドラーも頷き、「クランプスという二人の怪人を連れているという伝説もあるな。悪い子はクランプスにお仕置きされるんだ」
「だ――だから何だこの私が悪い子とでもいうのかお前達は!」
「さあー、どうだかな」 表情を変えずベルンは紅茶を啜る。 「だがそういつまでも小さな事に拘って怒っているのはどうだろうな。なあ、ジェット」
「そうだな、それはカッコ悪い…大丈夫、歌詞をもっと何とかすればプレゼント貰えるさ!」
ぐっ!と親指を立てたジェットに元気よく言われ、キースも渋々引き下がる。放任気味ではあるがベルンもキースの対処方法は心得ているようだった。
「カーズ…オレは大丈夫だろうか…」
「ブザライ…後できちんと説明してあげるから…」
「アドラーそいつらが来たらどうすればいい!? 一緒に戦ってくれるか!? 」
「はは、お前の所へはこないよ、僕が保証する」
「お仕置きならオレがいつでもしてやるぜ?」
「燃やすぞ変態」
サンタにまつわるプチ騒動が起こっている中、広間にロデュウが入ってきた。人型で翼を持っている彼はまた近い街までお使いに出されていたらしく、お茶請けのクッキーの入った袋を持っていた。
「あらロデュウ、どうも有難う」
「ったく、いい加減このオレをこんな事に――」 腹立たしげにチータに袋を押し付けたロデュウはふと、「ああ?何の騒ぎだ」
彼の視線は特にはしゃいだ表情で熱弁をふるっているジェットと、その周りにいる子ども達に向けられていた。すぐ近くでバニキスがアドラー達相手に騒いでいたがそれはいつもの事なのでスルーした。 チータがかいつまんで説明をすると、「ああ!」とロデュウは急に機嫌の良い顔になった。
「前にチータが言ってたあれか。煙突から来るんだろ」
――水を打ったような静けさとはこの事であるとでもいうように部屋中が静まり返った。いや、正確に言うとサンタさんについて語り合っている者達以外が凍りついた。バニキスでさえが動きを止めていた。
「ちょ…チータちゃんこっち来てくれるかなあ」
チータの肩を抱いてバニキスが柱の影に移動する。顔面蒼白の他数名も後を追う。柱の裏に回った所で一斉訊問が始まった。
「チータちゃんオレは今腹の皮がよじれそうなんだが!え、何、あいつ何!?」
「怖いわあの子真顔で言ってたわよ!?」
「君は彼に何を教えたんだ!?」
「普通にサンタクロースの事を教えただけよ。人間界にはこんなのがいるのよ、って」
物凄い勢いの彼らとは逆に、チータはいつもと変わらぬ冷静な表情で答える。
「え…貴女どうしてそんな…」
「面白いから」
即答。
「成る程」
大納得。
「よおーしじゃあその純粋な夢をぶっ壊しにいこうかあ!」
「ちょっと待ってバニキス!」
サドっ気大発揮して笑顔でロデュウの許へ行こうとしたバニキスをチータが即座に押さえ、「今バラしてどうするの面白くないでしょう!」
「その理由はどうなの」
「それもそうだな!」
「お前もどうだ」
とことん信じ込ませておいてその後にそれを壊した方がより精神ダメージが大きいと大変嫌な計算をしたバニキスは、にこにこしながらロデュウに近付いていった。
「よお、お前よお」 自分以外の事に対して酷く関心の薄い彼はろくに人の名前を憶えていない。 「安心しろよ、ここは外から見えねえようになってるが、サンタさんはちゃーんと来てくれるぞ」
「トナカイ共がソリひいて空飛ぶんだよな、オレみたいに」
「そうそう。あ、でもここニュージーランドか」
「じゃあソリでなくサーフィンで来るんだったかしら」
「でもここまで登ってくるのにサーフィンで大丈夫かね」
「波がここまで届くんだと思うわ」
「オオウ、さすがサンタだな」
大真面目な顔でロデュウと話しているバニキスとチータを見て、よくやるな…、と呟いたのはラウシンで、あの二人も役者の資質があるな、と呟いたのがベルンだった。
「あ!そうだお前よ」 バニキスがポンとロデュウの肩に手を置き、「また街行ってケーキとかターキーの一つでも持って来いよ、クリスマスだからな」
お使いから帰ってきたばかりのロデュウは途端にピキッと青筋を立てる。 「ああ?調子に乗るんじゃねえぞ、てめえの言う事なんか誰が聞くか」
「おお?いいのか?オレに逆らうって事はリオウにも逆らうって事だぜ?」
十八番のリオウの名前を出したバニキスにロデュウは更に青筋を立てる。非常に楽しそうな笑顔のバニキスがやばいぐらい腹立たしい。
「――金は!よこせ!」
「は?店襲って取ってくりゃいいだろうが」
人として最低の発言をするバニキス。
「ホウそりゃ名案だなあ、その考え方は嫌いじゃねえがやっぱりてめえに従うのは我慢ならねえな、クソったれ」
「うるっせえなあてめえはよおサラサラ綺麗な髪見せ付けやがってどうせお前水洗いでも傷まねえんだろうがオレが手入れにどれだけ苦労してるか解ってるのかこの野郎」
「知るかバカ野郎」 全く関係ない言いがかりをつけてきたバニキスにロデュウは、「そんなに手入れがどうのと言うんだったら切ればいいだろうが」
途端にバニキスは「はあ!!?」と物凄い剣幕で、
「ざけんじゃねえぞクソが、男で東洋人でもねえのにナチュラルストレートでここまで長く伸ばすのにどれだけの手間と年月がかかってると思ってんだクソ魔物!」 次にはぷかぷかと機嫌よく葉巻を吹かしているキースをキッと睨みつけ、「煙草は大嫌いだ、髪に臭いがつくからな!喫煙者は全員滅べ!そこのクソガキ副流煙まき散らしてんじゃねえぞ!」
「何!? 私に言っているのか!?」
キースとギャーギャー口論を始めたバニキスを少々眺めた後、彼ほどではないにしろ長髪であるベルン、ジェット、アドラーの三人を順番にロデュウは見た。
「人間の…髪の長い男ってのは、皆ああなのか?」
「一緒にするな」
実に見事に三人の声が重なった。
何とかしてくれとロデュウに視線で助けを求められたチータは肩をすくめ、バニキスに声をかけた。
「クッキーと紅茶があるんだからこれで我慢してくれないかしら。充分でしょ」
「何だ惨めなメニューだな、クッキーが聖体で紅茶が血か?ニュージーランドじゃホワイトじゃなくてグリーンクリスマスだしよ、どこまで道外れなんだ」
存在が道外れのお前に言われたくないという話である。
しかし一応それでいいと考えたのか、珍しくバニキスはそれ以上食い下がろうとせず部屋中をひらひら巡り始めた。爬虫類の様に執念深い癖にこういう所は切り替えが異常に早い。 大きなブザライにクッキーを食べさせてあげているカーズに目をつけ、背後から彼女を抱き締めて耳元で囁いた。 「オレにもあーんしてくれよ、カーズちゃん」
カーズはバニキスの手に触れ、無表情に訊いた。 「腕ひしぎ逆十字固めとチキンウィングアームロック、どっちがいいかしら」
「どっちが痛い?」
「どっちも痛い」
「じゃあどっちも嫌だ」
「じゃあ両方やってあげるわ」
凄まじい絶叫が響き渡る中、いつものように皆はそれを聞き流して普通に会話を続けていた。
「ケーキか…材料さえあれば作れたんだがな」
「あらアドラー、料理が出来るの?」 チータが振り返る。
「ああ、母に教えて貰ったからな。大体何でも出来るが、パイとかケーキとかお菓子の方が得意だ」
「アドラーの作ったものは何でもおいしいぞ、ケーキなんか店で売ってるのよりおいしいんだ」
「凄いわね。私材料切るのは得意なんだけど、そういうのはあんまり」
皮剥きさせたら芸術作品ができるよな、とロデュウが聞こえない程の小さな声で言い添えた。
「へーえ、お前ほんっと女の子みてえだなあ」
カーズにきっちり関節技を極められたバニキスが腕を押さえながらヨロヨロとやってきた。絶叫からも判るように半端な痛さではなかったらしく、涙目の癖にまだ人をからかう元気があるようだ。 アドラーは眉を顰め、ムッとした表情になる。
「料理ぐらい男でもするだろう」
「だってお前そんな名前の癖によお、鷲って言ったら天空の支配者ゼウス――そっちでは…ツォイスだっけ?――の聖鳥だぜえ?なのにお前ときたら華奢で小柄で細い指で、少しも似合ってねえ。コレーって名前の方がお似合いじゃねえのか」
「う――煩い、お前みたいな奴にそんな事言われたくない!」
アドラーは顔を真っ赤にして怒鳴った。日頃から彼が気にしている事をズケズケと言うバニキスは、勿論そんな事承知の上で言っているのである。 今も自分とアドラーの頭の上に交互に手を翳し、無言で身長差を比べてにこにこと笑っている。
「アドラーを侮辱するな、許さないぞ」
「そうよバニキス…少しアドラーをからかいすぎだわ」 チータがいかにも仕様がないという風に溜息をつき、「貴方あまりベルンやジェットなんかには絡まないわよね。何故?」
「あいつは暗いが一緒に遊んだ方が面白い。監督さんは反応薄いからよー、チータちゃんやカーズちゃんみてえに女の子ならそれでも可愛いからいいんだが、表情の変化に乏しいんだよな、グックじゃあるまいし」
キースにクッキーを渡していたベルンが振り返った。 「ああ、確かに東洋人より西洋人の方が表情がダイナミックで画面映えするな、だが映像の世界ではそんな蔑称を使うようではいかん、グローバルなものだからな。逆に東洋人は細やかな感情表現をするのにとても良」「あんたの事を言ってるんだよ」
映画に関係する部分しか耳に入っておらず更に講義を続行しているベルンを顎で示し、な?という様にバニキスはチータを見た。チータも深々と頷いた。 バニキスはチータに腕を回し、手近にいたラウシンも先程と同じように捕まえて引き寄せた。
「まあそういう訳でお前達と遊んだ方が楽しいのさ」
「だからと言ってこっちに矛先向けられても鬱陶しいのよね」
「チータちゃんはそういうはっきり言う所も可愛いねえ」
「オレらと遊ぶじゃなく、オレら『で』だろうがてめえは!!」
「おーおかんむりだねえ怖い怖い。あ、チータちゃんオレにもクッキーくれよ、あーんって」
「貴方がこんな事してるから必然的に無理だわ。ロデュウに頼めば」
その声にロデュウがぎょっとして、「おい何を言ってるんだチータ!」
「ああ、それもいいな。くれよ」
何の抵抗もないらしくバニキスはロデュウに向かって口を開ける。ロデュウは今にも血管ブチキレそうな顔である。
「調子にのってんじゃねえぜ、クソ野郎が。さっさとチータを離せ」
「おお?何なんですかね、このいけないお手々は」 胸倉を掴んだロデュウの手を見てバニキスは笑った、「オレに手出ししたら、リオウが黙っちゃいないぜ」
ブツリ――と、目に見えない何かが切れた音がした。
バニキスの様な性格の人間のやる事は、チータやカーズの様に冷静(或いは冷淡)に受け流すか、ベルンやジェットの様に薄い反応をもって迎えればいいのである、彼は他人の嫌がる様を見て愉しんでいるのだから。 それ故アドラーやラウシンの様に彼の言葉を真っ向から受け止めてしまう者、そしてこのロデュウの様にすぐに激昂してしまう者は、バニキスのいいオモチャでしかないのだった。
「てめえいい加減にしやがれえ――ッ!!」
ロデュウが遂にキレた。
今まで我慢してただけでも上出来だとチータは思う。彼はよくやった。戦闘においてそれは負ける大きな要因になってしまうと何度注意しても直らない、熱し易い性格の彼はここまでよく耐えた。 しかし――バニキスに肩を抱かれたままのチータは小さく溜息をつく――やはりキレては負けなのだ。
見なさいロデュウ、この男、貴方を見て酷く楽しそうよ。
「おいおいオレはよわ〜〜い人間だぜ、虫ケラ相手に全力出しちゃうんですか、プリンス・オブ・ワールド」
「黙りやがれそのムカツク口二度と利けねえようにしてやらあ!!」
先程から随分騒がしかった広間は更に騒がしくなった。
これを見て渦中にいない者達がとった行動は、巻き添えを食わないように紅茶とクッキーを避難させた事だった。



ところでリオウはなかなか帰ってこないバニキスが心配になりパカパカと廊下を歩いていた。 あの男はそんな心配されるようなタマでもないし、この広い広いファウード内のどこにいるかも全く判ってないのだが、それでも捜しにいってしまうリオウは自覚はないがバニキスに相当甘かった。
「リオウ」
ちょうど廊下の曲がり角から現れたのはザルチムだった。
「ザルチムか。何してる」
「多分お前と行き先は一緒だぜ。ラウシンが戻ってこないもんでね」 額の眼がスッと開き、「南の大広間だな。どうやら大勢お揃いらしい」
「何?――バニキスもそこにいるか?」
「ああ、一緒だな。少し急いだ方がいい…何やらロデュウ辺りが騒いでる」
「何だと!?」
すぐさまリオウは駆け出した。
やれやれという風に息をつき、ザルチムもすぐに後を追っていった。



「てめえ逃げてんじゃねーぞお!!」
掴みかかって即刻五体を引き裂きそうな形相のロデュウ相手に、バニキスはチータを間において(最低である)身をかわしていた。解放されたラウシンもさっさと柱の陰に避難している。
「こわーいチータちゃん助けてー」
「何をしてるんだお前はッ」
ガンッ
チータに抱きついたバニキスが思いっきり殴られた音が響き渡った。
ガッと杖を思い切り床に打ちつけたリオウが不機嫌な表情で立っていた。頭の痛みも構わずぱっとバニキスは嬉しそうに笑顔になる。


「よお来たのかリオウ!」
「お前が帰ってこんからだろうが!」
リオウを見てロデュウは舌打ちをし、ようやく殺気を静めた。が、リオウの後ろからこちらに向かってべーと舌を出したバニキスを見て、再びマジでブチキレる5秒前である。
一緒に歩いてきたザルチムを見つけ、ラウシンも安堵した表情になった。
「すまんザルチム、帰る所で…あいつに捕まってな」
「ああ、仕様がねえさ…疲れただろ」
げっそりとした顔のラウシンを見てザルチムが言う。バニキスによる彼の心労にはザルチムも辟易している。
「りおーりおークッキーやるぞーホラあーん!」
「いらんわ」
リオウに一蹴されたバニキスは、伸ばした腕を別の向きへ差し出した。 「じゃあそこにいらっしゃるザルチム君どうぞできるもんならしてみろ、あーん」
「折角だがそういうのは好きじゃないんでね、遠慮させて貰うぜ」
「チッじゃあほらラウシンあーん」
「お前からのものなんざ生ゴミを食った方がマシだ」
かなり酷い断り方をされたにも拘らずバニキスは平然と「何だよお前らー」とつまらなそうに自分でクッキーを齧っていたが、
「あ、そうか。口移しがいいのか」
ガンッ
杖で思い切り殴られた音が響くのは本日二度目である。
「その杖いいな…カッコイイ…」
いつの間にかリオウのすぐ側にジェットが寄って来ており、綺麗な宝石のついた杖をじーっと見つめていた。 ムッとバニキスがそれに気付き、
「やらねえぞ、オレのなんだからな!」
「オレのだ」
ゴンとまた頭を殴られるバニキス。更にきらきらと眼を輝かせ出したジェットを見て、今度はギャロンが少々心配そうに声をかける。
「ジェット、私の方がカッコイイだろう!?」
「ん、ああ、お前は最高にカッコイイ」
「何だとリオウが一番だろうがふざけた事言ってると泣かすぞてめえ」
「やかましいわ黙れバニキス!」
チョロチョロ煩いバニキスにガッとリオウが杖を打ち鳴らす。
それから広間にいる者達をぐるりと見回し、 「お前達!一体何の用でここに集まっている!?」
バニキスとラウシン以外のここにいた者達は顔を見合わせた。
普段ならいかにリオウの寝首を掻くかという打ち合わせの為に集まるものだが、今日は純粋にお茶会だ。堂々と答えられる。
「皆でお茶を飲んでいただけよ」
「ああ、アドラーが紅茶を淹れてくれて」
「オレがクッキー買って来てよ」
ブツブツとロデュウが不平に近い言葉を漏らす。
「何だそうか」
少々抜けまくった所のあるリオウはあっさり頷いた。 普段ならばあれこれ様々な言い訳を全員で考え出してリオウを言いくるめにかかるのだが、今回は本当にただのお茶会だし、実際この場の全員がお茶とクッキーを持っている。やましい事は何もない。
「リオウも来た事だし、オレ達も仲間に入れてくれるだろ?」 リオウが来た事で更に調子づいたバニキスが言った。 「クリスマスだしよ」
にっこりと手を差し出してきたバニキスに、アドラーが険しい表情でカップとポットを手渡した。くれてやるから注ぐのは自分でやれという事である。 まずリオウと自分の分を注いだバニキスは、まだ紅茶を持っていないザルチムの分も一応注いでやっている。いつもザルチム相手に陰湿な嫌がらせをしてるこいつにしては珍しいなと思ってラウシンが見ていると、オレが愛情たっぷり込めて淹れてやったんだから今すぐ飲めとかどうとか言いながらザルチムのマスクに紅茶を突きつけていた。やはり嫌がらせだった。熱いの苦手だからもう少ししてから飲ませて貰うよ、とザルチムは丁寧に受け流している。 当然面白くないらしくぐだぐだ文句をたれているバニキス。ガキ丸出しの大人である。
「バニキス、そのクリスマスというのは何なんだ」
「下らなく素敵なお祭りさ」
クリスマスの本質を全く伝えていない説明をするバニキス。あーあーとんでもない間違い教えられてるなーと思いつつ誰もソレを正そうとしない人間達。これでまた一つリオウの間違った知識が増えた。
「それじゃあ――まだ夜じゃねえが――聖なる夜を祝福しますか」 機嫌を直すのが早いバニキスが笑顔でカップを掲げた。 「祝うにしてはメニューがチンケすぎるがな」
「イエスの教えと生涯を考えれば、本来こうであるべきなんだ、世間がバカ騒ぎをしすぎなんだ」
アドラーがやや腹を立てたような口調で言った。バニキスに従うのが甚だ不本意の様だが彼も祝福はしたいらしく、小さくカップを掲げる。それを見て傍らのファンゴも彼に倣った。他の者達も高さに違いはあるもののそれぞれカップを掲げた。(こうしないとバニキスがまたしつこくごねるのが目に見えている)
「メリークリスマース♪」
バニキスが高らかに告げた。
皆ペア同士でキン、とカップを合わせたり、近くの者同士で乾杯したりしている。
「バニキス、これを飲むのか?」
「そうだ飲め飲め、それはなあ血だからな」
「血!? 祭りで血を飲むのか人間は!?」
「因みにこっちのパンの代わりのクッキーは体の肉」
「人間は祭りで共食いをするのか!?」
リオウが無駄に混乱させられている。
そうだ、とジェットが思い出したように顔をあげ、
「ギャロンよ、ちゃんと靴下を用意しておくんだぞ、サンタさんはそれにプレゼントをくれるからな」
「クツシタ?何だ?」
「足に履く奴だ。部屋に帰ったらオレのを貸してやろう」
「おいちょっと待て人間、クツシタってのはどんなのでもいいのか」 大真面目な顔でロデュウが近寄ってきた。背後でチータが顔を背けて静かに噴いている。
「ああ、小さくても大きくても構わんぞ、でも大きいプレゼントが欲しいなら大きい方がいいけどな」
「おいチータ、お前のクツシタを貸せ」
「ええっ…いいわよ…喜んで、貸す、わ」
チータは声の震えを抑えるのに全神経を集中させている。
「ベルンでかいクツシタを持っているだろうなそれはもうこの部屋ぐらい大きな」
「そんなものはどこにもない」
「カーズ…すまんが…」
「…貸すわよ、私のを」
一部の子ども達はジェットの周りに集まって活発な談義を繰り広げている。ジェットは誰よりも子どものような表情で、彼らに色々と教えてあげていた。
「楽しそうだな」
柱に寄りかかっているザルチムが言った。ザルチムは彼らの輪に近付こうとはしない。
傍らで同じく輪に加わらず静かに紅茶を飲んでいたラウシンが、小さく笑った。 「お前も行って来るか。プレゼントとか言ってるぞ」
「ヒヒ、構わねえよ」 ザルチムは片手に持っている少し温くなった紅茶の入ったカップを揺らした、「有難い事にもう頂いちまったからな」
談義は新たな局面を迎えたらしく、ジェットが何か大声で言うと子ども達が一斉にどよめき歓声を上げた。入り込めない熱い世界が出来上がっている。
「私達の罪を背負う為に生まれてきた人の子の誕生を」
子ども達の様子を見つめながらカーズがシニカルな、もしくは自嘲的でもある笑みを見せた。 「こんな私達が祝っていいものかしらね、ひょっとすると、この世界全てに災いをもたらそうとしている私達が」
「何も気にする事なんかねえさ」 その呟きを聞いたバニキスが、心底愉快そうに笑って答える。 「パンドラの時代から人間共は常に災いに怯えながら生きる事になってるんだ、最後に残ったエルピスに縋りながらな。それにどうせオレ達は生まれた時から罪を負ってるんだろ、聖書のイブを見ると」
「洗礼を受ければ原罪は浄められる」 アドラーが静かに言う、「お前には関係ないだろうがな」
「ああ、別にオレは罪を赦して貰う必要なんざねえからな」
「…お前みたいな奴が、本当に、神を祝う言葉を口にするな」
冒涜的な態度をとりまくりのバニキスに、もう相手をしてられないとばかりにアドラーが眉を顰めて背を向けた。あんな奴になってはダメだぞと、ファンゴの頭を撫でている。
「あのなあ、オレだって神を信じちゃいるんだぜ?」
ブッとカーズが紅茶を吹き出し、ゴホゴホとむせた。
「だってオレはこの一年の間に、ケンタウロスもケルベロスもサテュロスもゴルゴンもトリトンもアルゴスもヒュドラもエキドナもキュクロプスも、神話の中の生き物をこの眼で沢山見てきたんだ、だったら探せばどこかに神様もいるかもしれねえ」 バニキスは笑った。 「尤もオレが信じてるのは多神教の神々だがな。全知全能の完璧な神をオレは信じない」
「…やっぱりお前はそういう人間か」
「ああ。これがオレだ」
それに、とバニキスは楽しくてたまらないという表情で続けた。
「オレ達が復活させようとしているこのファウードこそが、人々が二千年もの間待ち続けているメシアなのかもしれねえぜ?諸人こぞりて迎えまつれ、久しく待ちにし主は来ませリ!」 くすくすと笑って、「堕落しきった人間達を滅ぼす事が救いなのかもしれねえだろ、神はいつだってそうしてきた、デュカリオンやノア、ソドムとゴモラのように」
「――どうでしょうね」
そういってカーズは紅茶を飲み干した。
彼らの足下の揺り篭で、神の如き強大さを持つ幼子はまだ眠っている。
人として生まれてくる時を待ち続けていた神の子の様に、目覚めの時までを眠り続けている。
この幼子を揺さぶり起こした時、一体どんな世界が訪れるのか。それはどう想像しても詮無い事だ、人智を超えた存在がもたらすものはそれが訪れてみないと解らない。或いは訪れたとしても、それがあまりに途方もない光景であれば、理解する事すら適わないかもしれない。
――とにかく今夜は聖なる日だった。
それはここにいる誰の上にも平等に訪れた。
人ならざる者、これから罪を負う者、僅かに罪ある者。罪深き者。共に果て無き夢を見る者達。
彼らは今夜、どんな夢を見るのだろう。




* * *


後日談。
次の朝、魔物達の靴下に入っていた"プレゼント"は、魚だった。
かなり本気な子ども達にどうするかと頭を悩ませたパートナー達が集まって相談し、すぐに用意できて尚且つ彼らが確実に喜ぶもの、という事でこうなったらしい。
幸い子ども達は結構喜んでいたようだ。
しかし自分の使う靴下に生魚をいれてしまった人間達が、外にある水路で揃って洗濯をしている姿が見られたりした。 わざわざその場に来たバニキスは彼らの側でずっとケラケラ笑っていた。
世界はまだまだ平和のようだった。






前々からファウード組で何か書きたかったのでクリスマスで一つやってみました。12月なんてファウードはまだ人間界にきてすらないし、バニキス皆と顔合わせてるしと完璧パラレルです。時間があったので自分で挿絵を描くというやや虚しさの漂う事もやってみたり
皆かけて楽しかったんですけど、カプセル魔物ペアが出せなかったのが残念!クソー名前判ったらリベンジだ! あとギーゴーがセクハラばっかですいませんこんな風に誰にでもふつーにセクハラしてるイメージですアハハハ!
それとザルチムって魔物だけでなく人間も感知できるんでしょーか。モモンなんかは魔物しか感知できませんが、「あと面白いことにリーヤ達がいるぜ」とか「1体は呪いをかけられたパートナーが」とか言ってたんで人間もいけるんかなーと

因みに語句説明
聖誕老人(シェンダンラオレン)…中国語でサンタクロース
ヴァイナハトマン…ドイツのサンタさん
コレー…ハデスの妻ペルセポネの元々の名で、「少女、乙女」の意
プリンス・オブ・ワールド…聖書に出てくる「悪魔」の呼び名の一つ
エルピス…希望

05.12.24



BACK