前髪をかき上げて欠伸をした所で、やっとお目当ての者の姿が見えた。 彼は姿勢を正すでもなく、豪華な欄干にだらしなく腰掛けたままその者に声をかけた。
「よう、初めまして、"ヘラの孔雀"君」
声をかけられた方はといえば、彼より数メートル手前の位置で既に立ち止まってこちらを見ていた。両の眼と、顔中にある無数の眼のうち額の一つが僅かに開かれている。
「誰だ、お前」
「誰って…ここにいる人間なんだから決まってるだろう、オレも"お仲間”さ」
「ヒッ、嘘つくんじゃねえ」 目つきが鋭くなり、「オレは今ここにいる奴らのパートナーも全員把握してるし、ここ数日新しく連れられてきた魔物もいねえ筈だ。お前みたいな人間――」 ぴたりと言葉が途切れた。 「…あんた。リオウのパートナーか?」
「ご名答」 彼はぱちぱちと手を叩いた。 「バニキスだ、宜しくな"孔雀"君。ええと、何だっけお前、ザ…何とか」
「ザルチム」
「そうそうザルチム君だ!今一人だよな?あの東洋人はいねえよな?」
彼がひょいっと背伸びをしてザルチムの後ろを見るポーズをとると、マスク越しのくぐもった声が返事をした。
「ああ、ラウシンは部屋で待ってるよ。だからあんたの相手はできればごめんなんだがね」
「つれないねえ、少しだけオレとお話をして欲しいだけなのに。ここに来てからリオウ以外の奴と話をしてねえんだぜ?"お遊び"もお預けだし、退屈なんだよ。リオウもザルチム君の事は信用してるみたいだから良いかな、って」
ザルチムはほんの数秒、彼を見つめたが、これ以上はないというぐらい仕方無さそうに溜息をついた。 カツカツと歩を進め、彼のほんの数歩手前という位置で再び立ち止まる。
「じゃあ少しだけ質問としての会話をしてやるよ、リオウのパートナーって人間には前から興味があったもんでね。いいな?」
組んだ膝の上に片手で頬杖をついて彼は笑った。 「おお。ありがとよ、ザルチム君」
「…まずそのザルチム君ってのをやめな。普通に呼べ」
「はあ、リオウがお前には信頼おいてるから折角君付けしてやってるってのによ、気に入らねえのか」
「あんたにそう呼ばれると寒気がするね、普通に呼べ」
彼は肩をすくめた。 「はいはい。で、オレに何か質問あるんじゃないんですかね、ザルチム君は」
「…いい性格してるよ、あんた」
素知らぬ顔で彼は欠伸をした。
ああ、眠い。彼が眠りにつく時間はいつも不定期で、その睡眠時間も同じ事であったから、こんな風に眠くなるのは常だった。 けれどもやっとザルチムを捉まえられたのだ、多少の眠気は我慢しなければ。これを逃せば次にリオウ以外の者と会話できるのはいつになるやらだ。
「何なら呪いを受けてる連中の所へ行けば良かったんだ。奴らなら大人しくあんたの相手をしてくれたかもな」
「フン、タイプじゃねえんだよあんな奴ら、どいつもこいつもいかにもいい子ちゃんですってツラしやがって。ああいうお綺麗な顔見てるとブッ壊してやりたくなってくる」 彼は心底汚らしいとでもいうような口調で言った。 「オレはよ、ファウードの力を狙ってここに集まってきた奴らみてえなのが好きなんだ、いいねえあの顔あの眼、虐めるならああいう奴らがいい」
愉快そうに肩を震わせた彼を見てザルチムは小さく肩をすくめた。 「いい趣味だな」
「よく言われるよ」
「一つ目の質問だぜ。あんた勿論知ってるんだろ、ファウードを復活させたら残りの王候補共を、この人間界ごと葬るってよ、いいのかい、人間のあんた」
何だかな、と彼は頭をかいた。そして本当に不思議そうに首を傾げた。
「何でリオウもお前もそういう事を訊くのかねえ?いいに決まってるじゃねえか。オレがいて欲しいのはリオウだけで、他の奴らには興味ない、心の底からどうでもいいね。是非葬れ。本物の黙示録を見せてくれ」
ザルチムは眼を細めて彼の眼を見た。 「ヒヒ、あんたいい眼してるよ。何もない、って眼だ。リオウも気に入る訳だ。普通の人間は、あんたみたいな奴の事をクレイジーと呼ぶんだろうがね」
「多少いかれてた方が生き易い。そういうもんだろ、この世界なんて」
「その通りだな。あんたはとても正しいよ」 ザルチムは続けて、「質問その二。人間界が滅ぼされた後、あんたはどうするつもりなんだ?」
彼はザルチムを指差した、「そっちへ行く。お前達の故郷へ」 足をぶらぶらと揺らしながら、「魔界ってのは面白そうだよな。早く行きたいもんだ」
お前にとってはここにいるより遥かに楽しめるだろうよ。まず何がしたい?
さて、何をしようか?リオウに訊ねられた時に少し考えたが、彼は何よりもまずリオウの生まれた世界へ行ってみたかった。それ以外の事は全て、実際に行ってみてからだ。
ああ、だけど――
「酔狂だな。まあそうでなければリオウのパートナーは務まらないんだろうが」
そうだ、やりたい事があった。とてもやりたい事――やらなければならない事。
「さて最後の質問だ」
彼は思わず身を乗り出した。 「ええもう終わりかよ?付き合い悪いな」
「ここまで付き合ってやっただけでも感謝してほしいね。で、話聞いてると、どうもあんたはリオウの許可なしにオレの前に出てきたようだがいいのか?怒られるんじゃねえのか」
「ああ大丈夫大丈夫」 彼はひらひらと手を振った。 「本気で怒りゃしねえよ。あいつはオレの事好きだからな」
「――へえ」
「おい何だお前そのお座なりな返事。あいつはオレが好きだしオレもあいつが好きだ、オレなりにあいつを王にしてやりたいとも本気で思ってるんだぜ、あいつの邪魔する奴は許さねえ」
リオウが泣いていた。
祭壇の上で蹲り、苦しそうに泣いていた。
――いや、涙は流れていなかったのだけれど、彼はリオウが泣いている所を見た。彼はその場で立ち尽くし、不思議そうな表情でリオウを見つめていた。それからリオウに声をかける事もせず、静かにそこから立ち去った。
何でリオウが泣いてるんだろう。
どこへ行くともなく石造りの廊下を歩きながら、彼はそう思った。
何でオレ以外の奴の為に泣いてるんだろう。リオウに泣いて欲しくなんかないのに。
彼はリオウのそういう表情は嫌いだった。自分の為以外に苦しんでいるリオウは見たくなかったし、見る事もないと思っていた。彼が他人にそんな感情を抱くのは生まれて初めてであったから、やり方、というものがよく解らなかったのだが、彼はリオウを守ってやりたかった。苦しんで欲しくないのに。泣いて欲しくないのに。
その涙がオレの為のものじゃないのなら、オレにはそれをとめられない。
「結構な事だな、パートナーとして最高じゃないか」
「だろ?だからあいつはオレの事が好きなんだ」
ザルチムは笑ったようだった、「本当に、いい性格だよあんたは」
言い終えてザルチムはすたすたと歩き出す。彼もそれなりに満足したのでもう引き止めようとはせず、
「お前もリオウの為に頑張ってくれよ、ザルチム君」
「あんたに言われなくても」 ザルチムは返事をした、「頑張るつもりだぜ」
そう、精々頑張ることだ、ヘルメスにやられちまったりするなよ、忠実なる"ヘラの孔雀"君。
笑いながら彼はザルチムの背中にぺろりと舌を出した。
だけど、お前はいらない。この王国に、オレとリオウ以外の奴は必要ねえんだ。
「そうだザルチム君、大事な事言い忘れてたぜ」
ザルチムが足を止めてこちらを振り向いたのを確認すると、彼はにっこり微笑んだ。 「オレ、お前の事、大嫌いなんだ」
「そいつは良かった」 ザルチムも目を細め、笑ったようだった。 「オレもあんたの事は、好きになれそうにないからな」
彼はザルチムにひらひらと手を振った。 「また遊ぼうな、今度はあの東洋人も一緒に連れてきてくれよ」
既に背中を向けていたザルチムは、ポケットから右手を取り出して一度だけ振り返してきた。お、あいつ手にゴツイのつけてるな。頭部の眼の一つが開いているのにも気付いたので、また笑って手を振った。
差し当たってザルチムは本当によく働いてくれている。彼はそれに満足していた。王国が近付くのは早いほどいい。
楽しそうだな、お前が生まれた世界は。あっち行ったらしてえ事が山ほどありそうだ。
お前にとってはここにいるより遥かに楽しめるだろうよ。まず何がしたい?
ザルチムが廊下の向こうに消えたのを見届けて、彼はやっと欄干の上から降りた。いい加減戻るとするか、リオウが待っている。リオウ以外の会話相手を探していたとはいえ、話していて一番楽しいのはやはりリオウだ。彼は長い髪の毛を揺らしながら歩き始める。
まず何がしたい?
ああ、いい事思いついた――内緒だ。
彼はまずリオウに何から話そうかと考える。ザルチム君と話したぜ、いきなりこう言ったら驚くかな。いや怒るだろうな、あいつ。その時のリオウの表情、怒声、全てが想像できて彼はくすくす笑う。 ザルチムはあの東洋人にオレの事話すかな。まあどっちでもいいんだが。今度はあいつが一人の時に部屋へ行ってやろうか、ザルチムとはまた違ったタイプで楽しめそうだ。とにかくあの二人には頑張って貰いたいものだ――少しでもリオウを王の座に近付けろ。
なあリオウ、楽しみにしてろよ、リオウ、お前が王様になったら、最高に素敵な世界が待ってるんだ。
きっとリオウは喜んでくれると、"その時”の事を考えて、彼はとても嬉しくなる。お前はもう、泣かなくていい。
お前の涙を止めてやる。







リオウとだけじゃ話の幅が広がらないので他の人と会話させてみたかったんですが、まあバニキスもシダーグリーンつーかザルチムとぐらいなら顔合わせてるよネと思いまして…
これで言ってるバニキスの「やりたい事」っていうのが漫画に繋がっていく訳ですが。 始末が悪いのがギーゴーはこれは心の底からの善意でリオウは本当に喜んでくれると思ってて、悲しむだなんてこれっぽっちも考えてないという事。リオウにはオレさえいりゃいいみたいなガハハ爆笑!
まあバニキスは狂気的愛の持ち主だと思う訳で!惚れられたら大変DA!
えーとあとリオウを守ってやりたいというのは精神的に、みたいな意味で。でもギーゴーの方はリオウに対して肉体的にも精神的にもオレを守れと言ってしかもそれを当然の事だと思ってたらいいな!妄想凄いな!
あ、ギーゴーがザルチム嫌いなのはリオウに信頼されてるからです爆笑

05.10.23



BACK