僕はただ君の傷つく姿なんて見たくなくて。 「ファンゴ…」 「ああ――」 小さな君の背中はこんな時でも強く毅然としていて、僕はそこに変わらぬ王の姿を見る。君はじっと宙を見詰めている、 「リオウは…オレ達全員の力を合わせても、確実に勝てるかどうか解らなかった奴だ」 そう。僕達は随分強くなったのに、それでも勝てはしなかった。けれどあいつは王にしてはいけなかったから。 「それをあいつは、倒した――それも、圧倒的な力の差を以って」 君は床に手を置く。 「今のオレの力では、100パーセントあいつに勝てはしない。そうだな?」 「ああ」 「強大な力、か…あいつもそんなものをただの親切でくれる訳はない。その力を手にする事でオレがどうなるかは解らない――だけどオレは、1パーセントでも、可能性が欲しいんだ」 そう。たった今僕達全員の前に姿を見せた白銀の髪を持つ魔物、きっとあいつも王にしてはいけないから。僕は答える。 「ああ」 君は僕を仰ぎ見る。僕は君の瞳を見る。そこに確かな願いを見る。 「オレがどうなっても、ついてきてくれるな?アドラー」 強張った君の笑顔。炎の様に煌く瞳がそう願うなら。 「今更だ。わざわざ訊くんじゃない」 僕は君についていくのだと、あの日からずっとそう誓っているのだから。共に行くよ、どこでも君の行く場所へ。 君はふっと表情を和らげ微笑んでくれる。その笑顔を見る度僕は何もかも安心なのだと思うのだ。 息を吸い込み、君は揺ぎ無い力強い声を響かせる。 「――ゴデュファ!!」 僕は君の傷つく姿が見たくなくて 彼はファンゴの美しい技が好きだった。 ワルツのようだ。闘いの最中ひらりひらと輝き舞い踊る火の子ども達を見て、彼はいつもそう考える。それを操るファンゴは指揮者であり演奏者なのである。 スフォルツァンド。特に強い炎の技は、何て激しい踊りだろうと思うのだ。何事においても優美さを求める彼は、ファンゴの炎がとても好きだった。 燃え盛る炎によって、天使の様な柔らかな彼の金の巻き毛は緋色に輝き、ファンゴは華やかなる炎の子になるのだった。 舞い踊る炎の花びら。彼はそれをつかまえたいと手を伸ばす。 「お前の名には何か意味はあるのか?」 ある時そんな事を訊いた。 ファンゴはその質問の意味自体が理解できずにいたらしく、首を傾げ、意味って、と問い返した。 「人間の名には大抵意味があるんだ。僕の名は鷲を意味する。空を舞う鷲の如く、強く気高くあれと願って父がつけてくれたそうだ」 泣いては駄目よ。 勇敢な名前を持ってる癖にと、ピアノやバイオリンを習っている事、そして何より母の血を色濃く受け継いだ彼の顔の事を、心無い友人達によくからかわれた。 バルコニーで揺り椅子に座り空を眺めている美しい母の膝に縋りつくその度に、そう言って母は幼い彼の頭を撫でてくれた。 強く気高くあれ。お父様はそう願って、貴方にその名をつけて下さったのよ、アドラー。 父の顔は知らない。彼の名前である鳥の様に強く羽ばたければあそこへゆけるのに、といつも空を眺めている母から聞かされる話だけが、彼の知る父の全てだった。 ほんの少し触れるだけで手折る事ができてしまいそうな母を悲しませる事などあってはならず、そして母の愛した父のように強くなりたいと彼は願うようになった。 「へえっ、そうなのか、面白いな人間って。オレの名前には特に意味はないと思う。今まで気にした事もなかった」 「じゃあお前に人間として名をつけるなら、そうだな――ええと、ツンダーやプランダ、かな。火をつける者に火焔の如き者という意味だから。ああでもプランダは女性名だが」 「へーっ!凄いなあ人間の名前は!」 素直に感心してくれるファンゴが可愛らしくて、彼も花開くような笑みを零してしまう。そういえば、と付け加える。 「鷲は空の王者のシンボルでもある。だから王になるお前のパートナーとしては、丁度いい名前かもな」 王者の様に気高く強く。 僕は強くなれたのだろうか。それは幼かったあの時からずっと彼自身に課せられている命題であった。 母の望むように、父が願ったように、彼は果たして強くなる事が叶ったのだろうか。少なくとも、母はずっと彼が守ってきた。 それでも彼はずっと自分に問い続けてきた。僕は強くなれたのか、と。 ファンゴとの出会い。それは彼が瞼の裏に見続けてきた"強き者”との邂逅だったのだ。 この炎の子は、何て王者に相応しい。 「アドラー、ガデュウを唱えてくれ」 炎の子がそう言った。 「ガデュウを?何故だ?」 訊ねてもファンゴがいいから、と笑うので、メッゾ・ピアノでいいか、と不思議に思いながらも彼は心の力を抑えて呪文を唱えた。 ファンゴの両手から炎が咲き出でる。その炎を一度重ねた両手の中に閉じ込め、円を描くように腕を広げると、それは鳥の形を成していた。燃え輝く炎の鳥。 「これは、アドラー」 フッとファンゴが手を差し出すと、炎の鳥は彼の許へ飛んできた。 触れた途端に消えてしまうのだとでもいうように、たおやかな彼はゆっくりとゆっくりとその鳥に手を伸ばす。触れても少しも熱くなかった。ファンゴの炎のコントロールは完璧だ。強く、美しく優しい炎。それはファンゴそのものだと、彼はいつも思う。 「アドラーはその鳥みたいに強くて綺麗だ。オレはアドラーがパートナーである事を何よりも誇りに思うよ。共に王者になろう」 そんな事は。炎に顔を照らされながら、彼は酷く泣き出しそうな微笑みを浮かべた。僕こそがいつも思っている事なのに。 その緋色の鳥は、彼に極楽鳥を思わせた。 美しいものは、そして儚い。 炎は一瞬で消えるもの。 けれどその炎の鳥は、彼がそっと抱き締めても、決して消える事はなかったのだった。 僕はただ君の傷つく姿を見たくなかっただけだった筈なのに。 僕はどうすれば良かったのだろう。どこで間違ってしまったのか、それを僕は知る事が出来ない。君にも解りようもないのかもしれない。 僕達の辿り着いた場所は、決して君の望んだ約束の地ではなかった。 僕はただ、君の傷つく姿を見たくなくて、そう思っていたのに。結局僕は誰よりも君を苦しめる事になってしまったのかもしれない。 やっぱり僕は少しも強くなってなんていなかった。どうしてだろう。僕には君を救えない。もう見たくないのに、そんなにも君が苦しんでいるのを。僕はどうすればいいか解らない。泣く事をやめた僕には縋ることしかできなくて。 冷たい紅蓮の炎はロンドのように君を包み込み、君の全てを呑み込んでしまう。 君を繋ぎとめる事が叶わなかった。 けれど君を焼き尽くすその力がもしも煉獄の炎であるのなら、どうかもう一度聖らかな輝きを受けて欲しい。 僕はこの古聖所でずっとそれを祈り続ける。洗礼によって原罪が消えたとしても、僕は弱く、あらゆる罪を負っているから。 君が消えてゆく。 君をつかまえたいと手を伸ばしても、触れる事すら叶わずに。 抱き締める事さえできなくて。 極楽鳥も炎の花も君の笑顔ももう二度と 僕はずっと君を捜し続けてしまうだろう。 何もかもがもう二度とこの手の中に抱き締められないと知りながら。 君を傷付けたくなかったのに。 昨日のサンデーに色々しくしくしながらガーッと仕上げーの アドラー絶対ピアノとかやってると初登場から思ってたのでそういう設定に。もうとことん姫でいいですよアドラーは! ファンゴとアドラーの触れ合いがもっと知りたかったなあ24巻あたりの裏表紙とかどうかなあ… 05.11.3 |