オレは全然知らなかったんだよ。全部。魔物とか、王を決める戦いとか。 あいつは何も言わなかったんだ。ただ本を読めとしか。オレだっててめえが生活すんのも苦しいってのに、タダで居候置いとくほどお人好しじゃねえんだ。 とことん利用させて貰うって思ったんだよ。 オレが本の力で人傷つけたり物盗んだりしてる事をあいつは喜んでるようだった。 無表情の薄気味悪いガキだったが、そんな時はいつもうっすら笑ってるように見えたんだよ。 元々氷みてえに冷たい眼だったが、もっと冷たい眼になってたな。オレがそうさせたって? それを望んだのはあいつも同じなんだ。 …ああ…でもそうだな、オレがあいつと初めて会った時…オレは運送の仕事で冷凍食品の倉庫に行ったんだ。たまげたぜ。あいつそこで、何もかもカチカチに氷っちまう寒さの中で、あいつは冷凍魚をガリガリ食ってたんだ。 そんなとこにガキ放っておいたら凍死しちまうだろ?だからオレはそいつの手を引っ張って倉庫の外に連れ出したんだ。 で、アパートへ連れてってやろうと止めてあったトラックの助手席に乗せた。 それずっと憶えてたんだな。車が珍しかったのか知らねえが。金ができて、そんなボロトラックじゃねえ高級車に乗るようになっても、あいつはやたらと助手席に乗りたがった。 運転中鬱陶しいからいつもは後部座席に座らせてたけどな。ドライブは必ず助手席なんだ。あの時ぐらいだな、あいつが普通の子どもっぽい表情見せたのは。 今?その時の金の残りで暮らしてる。所詮オレは貧乏生活しかできねえんだな、やっぱり贅沢な暮らしなんざ一生できねえんだ。 盗みとか傷害もオレがやったって証拠もねえしな。ぬけぬけと普通に暮らしてるぜ、ハハハ。 今更真面目に働くのもなあ。とりあえず生きてるだけの毎日さ。 * * * あいつと会ったのは冷たい雨のやまない夜だった。 オレは見ての通りのろくでもねえ不良って奴よ。毎日毎日飽きもせず喧嘩に明け暮れてな、ここらじゃ割りと名の通ってる方なんだぜ。 ガキ共の間じゃ有名な部類に入る。…まあそれも今となっちゃどうでもいいけどな。 あの日は前の晩から雨が降り続いててなあ。そんな中でもオレはまたいつもと同じようにそこらのバカと殴り合ってきた後で、相手をぶちのめしていい気分だった。レインコートの下の返り血は外から見えねえから、いつもみてえに鬱陶しい奴らも騒ぎはしなかったし。 街へ寄ろうかとも思ったんだが、何でだかあの日はそんな気分になれなくてよ、ふらーっと街から離れて普段なら通らねえ道を歩いてったんだ。そしたらキュンキュン犬の鳴く声が聞こえた。あいつがオレを呼んでたのかなあ。 雨でびしょ濡れで薄汚れちゃいたんだが、首輪してたし鞄みてえなのも背負ってたからよ、飼い犬なんだと思ったさ、だけどオレは――あー、何でだろうなあ、いつもなら野良犬だろうが子犬だろうが目もくれないのによ、何でだかオレはあの時、その汚い犬を抱き上げちまったんだよ。よお、お前もオレと一緒だな、って。 なあ、ここ、右頬のとこ判るか。古い傷があるだろ。大分昔につまらねえ喧嘩でつけられた奴さ。いかれた野郎にナイフでブッ刺されたんだ。あと2cmずれてたらやばかったって医者に言われたよ、ハハ! ――抱き上げたらあいつは、オレの、この傷を、なめてくれたんだ。こんな小せえ傷を。 あいつ、人間界来て本の持ち主が見つかってなくて、クソガキとかクソバカに石投げられたりしてて、冷たい雨に濡れて――ひとりぼっちで心細かっただろうに、それなのに他人の傷をなめてくれたんだぜ…こんな、オレなんかの。こんなの、たまに疼く程度でもうとっくに痛くも何ともねえのによお…大丈夫か、痛くないか、って風に何度も何度も… あいつ愛想振りまくのが得意だったし、人間に危害を加えられないようにって必死だったろうから、誰にでも尻尾を振ってたのかもしれねえさ。だけどあの時は――本当に心の底からオレを思ってくれてるんだと、感じたんだよ…誰もが気にもしないクズのオレをよ。 あいつの話した魔物の戦いはとても面白そうだった。血の気の多いオレにはぴったりだと思ったね。実際面白かった。それでやっと手応えのありそうな奴らと闘える時がきた。だが――あいつは、あの黒い魔物にやられちまった。 何の冗談かと思ったぜ。一瞬だ、たったの一撃でカタがついたんだ。それがどういう事か、喧嘩した事ねえ奴にだって解るだろ? オレは数え切れないぐらい殴り合いをしてきて、時には刃物の相手だってして、地元じゃ誰も敵う奴がいなくなって、何も怖いモンなんかねえと思ってた――だけど、怖かった。 腰抜けとでも何とでも笑えよ、あの魔物に睨まれてオレは、本当に生まれて初めて、それこそ小便ちびりそうなぐらいビビっちまったんだ。怖いんだよ…今でも怖い。この通り震えちまう。 あれ以来喧嘩をする気も失せちまった。もうあんな思いはこりごりだ。今は仕事探してる。ハハハ、このオレがだぜ!今頃になって、何を他の奴らと同じ普通の人間ぶろうとしてんだかな。 一度でいい、ただの一度でいいんだ。夢でもいい。また抱き上げてやったら、あの時と同じようにまたオレの傷をなめてほしい。そうすれば、何度も何度もお前の頭を撫でるから。 * * * 旅行が好きなんだ。別に何か目的あるようなのじゃなくて、ただぶらぶらあっちこっち観に行くだけだけどな。 ん?あー、金はあるんだようち。オレバイトとかした事ねェし。今いちお大学行ってるけど卒業できなくても困りゃしねえぐらいの金がある。 旅行で一ヶ月帰らなくても何も言われないぜ。ハハ、とっくに見放されてるんです、オレ。 海外が特にいいな。スペインが好きでよ、あののんびりした国風はオレにあってる。 あっちこっち行ってるけどスペインはもう3,4回行ってて、で、たまにはあっち行ってみるかーってポルトガルの方寄ってみたんだ。そこであいつと遇った。 いきなり知らないガキ連れて帰ってもお咎めなしだ、あいつら両方いつも家にいねえからな、ハハ。 最初はな、さん付けしろっつってたんだ。だってあんなガキに呼び捨てされるのムカつくだろ。 でも、…まいいかって思って。何つの、弟ってよりも、……ダチ、ってんだなああいう関係。 ダチはさん付けしたり、媚びるような顔したり、子分みてえな事したりしねえもんな。うん、あいつだけだ、オレのダチは。 兄弟いないしずっと一人だったしな、弟って可愛いもんかもとか思ったよ。春彦春彦、ってちょこちょこオレの後ついてきてよ。 遊ぶ金には全然困ってねーからさー、ゲームの機種全部持ってんだ、オレ。ソフトも100本以上あるし。 やっぱ二人でやった方が面白いのな、ゲームって。あいつぷよぷよとかマリオカートが好きだった。あ、ピクミンは嫌いって言ってたなアハハ。 あとカイトでも遊んだよ。ちゃちい奴じゃなくって、親父が海外で買ってきた土産。オレ一回も触った事なかったけどあいつがやりたいつって。 飛ばしてやったら嬉しそーに笑うんだ、あいつ。自分もやるって走り回って。インドアなんだかアウトドアなんだか。 あーあ、つまんねーなー、ガッコは退屈だし女もだせえし面白くねー奴らばっかだし。 やっぱ旅行行くか。そしたらまたどこかで、あいつと会えるかもしんねーしな。 * * * 寒くもないのにどうしてそんなに厚着してるのかって?はは…癖なんだ。ついついまだやってしまう。彼といる時はいつでも防寒対策が必要だったからな。 登山が趣味で…時々暇を見つけては登ってるんだが。で、ツークシュピッツェにも登ってやろうと思った。いやそう本格的なものでもないよ、自分で登ってみたいものだが。 ともかく電車を使って登った。ああ、ちゃんと登山用の電車が通ってるんだ、パスも発行されてる。上についたらロープウェーでまた上がっていって、頂上へついた。絶景だよ。 けれどその素晴らしさをも吹き飛ばすものを見つけてしまった。 私は最初、大型の犬か何かだと思ったよ。雪の上に真っ白な何かがうずくまっていたんだ。誰か犬を連れてきたのか?と考える間もなかった。そいつがこちらを振り向いた――私はどうするべきか解らなかった。 ほら…知ってるだろう、ヒマラヤのイエティとか、ロッキー山脈のビッグフットとか…つまりはそいつは…雪男だったんだ。 少なくともその時の私はそう思った。テレビなんかで騒がれてる雪男そっくりの姿だったからな。 一つだけ違っていたのは、彼は本を持っていた事だった。ああ、袋に入れられた水色の本を大切そうに抱えていた。彼は私に擦り寄ってきた。何故逃げなかったか?笑える事に私は足がすくんで動けないでいた! けれど彼が私に危害を加えそうもないと判り、どうやら彼は私に懐いてしまったようだぞと思ったから、とりあえず私は店へ行って大きな麻袋を貰ってきた。で、一番最後の電車が出る時間まで待った。 で、彼にその袋に入って貰って下山した。あの時の自分がどういうつもりだったのかは今でも解らん。こいつとオレは運命共同体であると、その時既に感じていたのかもしれない。 とはいえ、彼が言葉を発した時は、腰を抜かしそうになったがな。 独身だしな、彼を連れ帰ったって文句を言う奴などいないから気楽なものだった。別にテレビ局に売り飛ばそうとかは考えなかったさ。とりあえずは暫く様子を見るつもりだった。まあ暑くしなければいいだろうと思って、水槽――何故かでかいのがあったんだ――に水を張って氷を入れて、そこに浸かって貰って、冷やした魚なんかを食べさせた。アイスクリームもよく食べたな。 魚を美味そうに食べる彼と一緒に私もビールを飲んだ。新しい友人とのちょっとしたパーティのようだったな。そのパーティの中で、彼の名前と…魔物の戦いの事を知ったのさ。 いや…本を読んだ時は驚いたよ。口から氷の塊を吐くんだ、お陰でソファが使い物にならなくなった。 権力志向がある訳ではないが――というかそもそも王になった魔物のパートナーもそれなりの地位だか報酬だかを貰えるとは思わなかったし――レベルアップしていくのは楽しかったな。強さに憧れない男なんてそういないだろう。 自惚れではないが自分達はかなり強かったと思っている。しかしまあ…かなり早い段階で負けてしまったがな。だけど後で知ったんだが、あの黒い本の魔物は相当な強さで、王の有力候補だそうじゃないか。そんな奴と互角の勝負ができたんだ、それなりに満足さ。 だけど彼には悪い事をした…私は自分の身を守るのが精一杯で、顔を上げた時にはもう本も彼も消えていた。別れの言葉すらかけられなかった。 おっともう時間だ…観たい番組があるんでな。知ってるか、日本のウルトラマンっていう…何故そんなものを、って?あれに出てくる雪男、フリガロはそいつの物真似が大好きだったからさ。 * * * あの子は一面のチューリップ畑の中に倒れていた。 何故そんな所へって? 何、仕事に嫌気が差していてね、私のような人間でも花を見れば心が安らぐものなのさ。 そしてボロボロの子どもが倒れていれば、保護して怪我の手当てをするだけの良心もあった。 彼は傷ついていた、体が――心が。あんなに怯えた眼をした子どもを私は初めて見たよ。私が敵ではない、つまり彼がこの戦いで信じられる唯一のパートナーであると判った時は、彼は酷く安心しきった笑顔を見せてくれた。痛ましいまでに嬉しそうな。 王の戦いについてなどもその時に聞いたんだがね、彼はこちらへ来てすぐに彼の友人――友人と信じていた者に、傷を負わされたらしい。その友人の方もまだパートナーの人間と出会ってなかったそうだが、それでも彼の本を燃やそうと、邪魔なライバルを蹴落とそうと、彼に攻撃をしたのだ。その眼はギラギラと敵愾心に燃えていたと彼は言った。 その眼を見て彼は、何もかもを考えられなくなったそうだ。訳も解らず無我夢中で逃げてきたと。 彼は傷ついていた――逃げている最中に既に心のどこかで理解しつつあったのかもしれないんだがね、何しろ彼は頭が良かったから――だから私は教えてあげたのだよ、裏切られる前に裏切ればいいと。傷つきたくなければ最初から誰も信じなければいいのだと。 子どもに何て事を? 我々の社会はそうして成り立ってきたのではないのかね。全く、私も彼ぐらいの年の頃からそういった事を知っていればとつくづく思うよ。 誰も教えてくれる者がいなかったから、私は愚かなこの身を以ってそれを学び続けるしかなかった。 妻はいたが随分前に別れたきりだ。子どもがいればちょうどあの子ぐらいの歳だったかもしれん。彼は育ちも良く、賢かった。いい話し相手だったよ。チェスやリバーシでは遂に一度も勝てないままだった、私も強い方なのだがね。 彼が初めて私の名を呼んだ時の事は忘れられんよ。怪我の手当てをして、私がパートナーだと判って、そして互いに名乗った時。彼はそれがまるでこの世で何よりも確かなものであるみたいに、何度も何度も私の名前を繰り返し呟いたんだ。私とした事が、…たったそれだけで、涙が出そうになってしまった。 色々やってきたな…だが、もう疲れたよ。裏切るのも、裏切られるのも。今の会社も売ってしまうつもりだ、また新しく事業を始める気もない。どこか静かな場所で密やかに生きていきたい。 そう、例えば優しく風車の回る、チューリップ畑の見える家で。 今でも花に囲まれて立ち、無邪気に私に笑いかけてくるあの子の姿が、そこに見える気がしてならない。 * * * お母さんもおじいちゃんも、ずっと寂しがってるわ。私も寂しい。凄く寂しい。 ある日突然私の家にやってきた迷子の男の子は、あっという間に私達の家族になったわ。お手伝いがよくできて、歌と踊りが好きなちっちゃな男の子。 ヨポポと私、本当の姉弟みたいってよく言われたの。私ずっと妹か弟がほしかったから、ヨポポが来てくれて本当に嬉しかった。いつも一緒だったわ。これからも一緒よ。 ヨポポがいなくなっても、私達が忘れない限り、ヨポポはずっとここにいるでしょう?私、忘れない。キヨマロとガッシュも約束してくれた。 寂しくたって、皆があの子の事を憶えていれば、いつも一緒にいるのと同じ事なのよ。 私は忘れない。 ヨポポと遊んだ事、歌った事、ダンスをした事、かくれんぼした事。ヨポポの手をぎゅっと握った事、ヨポポをうんと強く抱きしめた事、ヨポポがうんと優しく抱きしめ返してくれた事。 ヨポポが私の名前を呼んでくれた事。 ヨポポと私はトモダチだっていう事。 私の弟で、一番のトモダチで、一番好きなヨポポ。 これからも、ずっとずっと大好きよ。 * * * 僕…僕、お金持ちになる筈だったんだ、なりたかった… だって、ね、いいだろ、少しぐらいこっちが貰ったって。僕達はずっとずっと大変な思いしてきたんだから。 ママも兄さん姉さん達も、皆……何で僕達ばっかり苦しまなくちゃいけないんだ? 皆諦めてた、でも僕は、違う、違うんだ、奪う、奪う側に、一度ぐらいなってやるってずっと思ってたんだ。 だから彼は、本当に木の精霊が僕達を助けに来てくれたんだと思ったよ。 魔物っていっても、アニャンだなんて思わなかった。 寧ろ僕にとっては神様も同然だったさ。 僕はかくれんぼや鬼ごっこでは誰にも負けた事がない。子どもの時から逃げてばっかり隠れてばっかりの弱虫だった。…いや、今もだけど。 だけど、あの時は、やってやる。やってやるって、思ったんだよ。そうしないと僕は一生惨めなままで死んでいってしまうって。 ポッケリオっていう本当の名前の他に、僕は彼のことを「ファダ」って呼ぶこともあった。 妖精さん、って。 何故って、彼はまるで、僕が子どもの頃に空想の中で話しかけていた森の精霊そのもののようだったもの。 僕は妖精さんに自分の願いを叶えてもらってばっかりで、彼の願いである王の戦いについてはやる気がなくて……なんてヤツだろうね、僕は。 彼は僕とおんなじように臆病で、だからせめて僕がもう少ししっかりしてあげれば良かったのに。 僕は木を削ってタウ・クロスを作ったよ。彼の分もね。お守りだよって説明したけど、ちゃんとは解ってなかったんじゃないかな。 僕達をお守り下さい。この力を失わないようにして下さい。悪い事してるってのは解ってたよ。でも僕は祈った。今まで何も願いを叶えてくれなかったんだ、今度ぐらい守ってよって。 だけどやっぱり聖ベネディクトは厳しいね。当たり前か。タウ・クロスは割れて精霊は去ってしまった。彼にあげたお守りは、壊れてないといいんだけど。 また元通りの毎日さ。馬みたいに働くね。いいよ、やっぱり僕にはこれがお似合いって事だろ? やってやるよ、負けるもんか。 * * * あいつはとてもいい女だった。強くて賢くてしなやかで…あいつほど美しい女は見た事が無かった。これからもないだろう。 私は部族で一番の狩りの名手であり、それは我々の社会でとても名誉な事である。神々に祝福されているという事なのだ。 内戦による度重なる密猟で多くの動物達が失われたが、我々は奴らの様に遊びや金儲けの為に狩りをするのではない、生きる為だ。命によって命が生かされる、何千年も連綿と続いてきた大自然の営みだ。だから我々はいつも自然への感謝を忘れない、幾ら文明が栄えたとて、人間以外の存在を敬う事を忘れた世界は滅ぶだけなのだからな。 さて、その日私はいつもの様に狩りをしている所だった。何を捕まえようとしていたのかは憶えてないが、とにかく私は次の日に行われる儀式に必要な生贄を探していた。 そして茂みを分け入った所に、彼女がいたという訳だ、美しい野生のレディがね。 彼女を目にした時の私の驚きが理解できるか?いや、驚きというよりも感嘆…違うな、あれは最早畏敬の念に近かった。 豹ならば何度も見た事はあるが、これほどまでに美しいものはアフリカ…世界中を探してもいないだろうと思ったな。 一流の狩人であるこの私は、あの宝石のような瞳に見つめられて――ぴくりとも動けなくなってしまった。フン、こういうとまるで笑い話だな、傑作だ。 木彫りの人形の様に動かない私に、彼女は言った、ご機嫌よう、美しい肌の人、と。喋ったのだ、その黒い豹は――これは適切ではないな、彼女は結局豹ではなかったのだから。だが私はその時彼女を豹だと思っていたから、勘弁してくれ。 美しい外見を裏切らず、その声も透き通るように美しかった。文明に現を抜かす人間達なら、この状況でどうしただろうな。気を失うか、彼女を化け物と呼ぶか。私?私は、神の使いだと思ったさ。こんなにも美しく人智を備えた動物だ、それ以外に何がある。 フ、だが実際彼女は何だったか――彼女は自らの事を、魔物と呼んだ。キリスト教では伝道者の象徴ともされている動物の姿を持った彼女が、魔物…特に異論は無かった。我々の間では、悪魔や精霊といったものも普通に信じられていたのだから。尤も、我々の言う魔物とは、少々違ったようだが。 ともかく、その頃になって私はようやく彼女が首から袋の様な物を提げていて、そしてその中に本が入れられている事に気付いた。サバンナに沈む夕日によく似た色の本が。 彼女は私の良き相棒だったよ、魔物の戦いにおいても、狩りにおいても。狩りに限らず全ての戦いで勝ち抜く為に必要なものは何か?頭脳だ。彼女は美しい上に、頭脳の方も抜群だった。美しく賢く強い、彼女は野生の戦士だった。…とは言っても、彼女は戦士である前に立派なレディでな、その辺りの礼儀を欠くと痛い目に合わされたものだよ。 アフリカの大地は美しい。そしてそこを駆け抜ける彼女もまた、世界の様に美しかった。彼女と一緒に見た夕日は生涯忘れない。夕日だけじゃない、彼女の事、彼女と共に過ごした時間全ての事を、私は死ぬまで忘れないし、死んだ後は魂がその事を記憶していてくれるだろう。我々は死んだら大地に還る。厳しくも優しく私達を育んでくれた、あの大地へ。大地はきっと、そこを駆け抜けた彼女の事を憶えているだろう、私はそこへ行くんだ、悪いものじゃない。 彼女の話はこれでお終いだ、後は私の部族の語り部にでも聞いてくれ。彼女の事は我が村で語り継いでいくのさ、今の語り部が死ねばその子どもが、そのまた子どもが、という風に。――私の子ども?ハハ、私は結婚はしない。何故かって?浮気をして、またあの鋭い爪で痛い目に合わされるのは、ごめんだからだ。 * * * 働いてた時もあったけど今は無職だよ。やる気がおきねェ。まあいい歳だしな、だらけてばっかもいられねえんだが。実家に戻ろうかな、縁切られてるけど。聖書の放蕩息子の話みてえに優しく迎えてくれりゃいいんだが。 あの時期大分楽してたからなあ。だから余計頑張って働こうなんて気が出てこなくなっちまったんだな。 つっても金目のものとか盗んでた訳じゃなくて9割方食い物だったけどな、バカみてえに食うんだあいつ。しかもパンやワインなんかじゃとても足りねえんだ、羊とか豚とか丸ごと食うんだぜ、やってられるか。 そんなもん盗むしかねえだろ?そりゃあのドラゴンみてえなナリじゃしょうがねえだろうが、それにしてもよく食ったぜ。 あんな図体の癖にガキだったしなあ…本当にバカなんだ、あいつ。 オレが教えてやらねえとなんにもできねえし、戦う時だって全部オレだよ、あいつに任せたらヘマばっかだ、とっくに負けてたぜ。 あのアホガキとイタリア野郎に邪魔されてなけりゃ今頃もなあ…あのイタ公、映画スターだとかいうじゃねェか、街でポスター見た時は思わず破いたね。 別にそこまであいつを王にしたかった訳でもないんだが、まあ一生懸命オレを頼ってきてな、…かわいかったなァあいつ…。 人間のガキは大嫌いだがあいつは動物ぽかったからよ、だから愛着わいたのかね。向こうでもバクバク食ってんだろうよ相変わらず。 さァ、もういいだろう?休ませてくれよ、シエスタの時間だ。 * * * 僕はどうしてあそこにいたのかなあ。全く憶えてないんです。 僕達を助けてくれた人達によると、組織的な集団誘拐が行われて、世界各地から色んな人がさらわれてきてたんですって。 あんな遺跡だったし、何が目的だったんでしょう?ニュースにもなってないみたいだったし。 それに不思議といえば、あの助けにきてくれた人達も不思議だったな。人種も年齢もバラバラなんです。 凄くちっちゃな子や若い人、お爺さんもいたし、日本人とか中国人とか。あ、訛りが凄くキツイ人もいました。オーストラリアかな。 それに後からきて、僕達全員が故郷に帰れるように手配してくれた、太陽みたいに綺麗な金髪の男の人も何者なんだろう。 けど皆ボロボロで、一生懸命僕達を助けてくれたみたいなんです。いっぱいお礼を言っておきました。 ママもパパも僕の方が泣きそうになるぐらい心配してました。ちょっと過保護なんです。顔の所為もあるらしいんですけど、甘やかされて育てられてきたお陰で、何か僕よく女の子みたいだって言われて… 我が家のご先祖様は、とても強い王国騎士だったそうなのに…まあこれはいいですね。 僕は学校帰りにいなくなったらしいです。あ、でも、その点については誘拐されてた方が良かったかな。あの学校、由緒ある名門だか何だか知らないけど、とんでもない堅苦しい所なの、内緒だよ。 気がついたら全然知らない所にいてとても怖かったけど、でも、あそこにいたお陰で新しいお友達もできたから嬉しいです。えへへ、他の国にお友達がいるんですよ、何か凄いなあ。 僕はお星様と会いました。 あ、ごめんなさい唐突ですね、誘拐されてた間の事です。記憶はないんだけど、僕は真っ暗な所でずっとお星様の声を聞いてた気がします。 『星の王子様』って本あるでしょ?僕の大好きな本なんです。美しい話ですよね。その本に出てくるあの子みたいな、星の王子様。そういう感じでした。 暗闇にいた動けもしないし喋れもしない僕に、そのお星様はずっと何かを語りかけてくれてたように思うんです。 何だったんだろう。とても大切な事。そして僕にとってお星様は、とても大切な存在だったと思うんですけど。 星の王子様。 また会えたら、お友達になりたいな。 * * * ボン・ジョルノ。…あら…もう夕方ですって…?またそんなに寝てしまったのね… 私とても朝に弱いの…日に当たりすぎると倒れてしまうし。いつも起きる時間がばらばらで、お陰で私にとってはいつでもボン・ジョルノよ。 ああ、じゃあ今日もお手伝いできないわね…ええ、家は農家なの。大根抜くのが好きよ。この体質だから…あまり役に立てないのだけど。 そうだわ、パルコ・フォルゴレってご存知?彼はわが国の英雄なの…と言っても、彼を知ったのはつい最近なのだけど…私そういう事には本当に疎いの。世間知らずなのね。 そう、シニョール・フォルゴレの事だったわね…私、彼に会ったのよ…ええ、イタリアでじゃないわ、余所の国で…コンサートなんかでもなくね。 だって私はその時、あのシニョーレがフォルゴレだという事にさえ気付いていなかったのですもの。 失礼、カプチーノを飲んでも宜しくて…?グラッツェ、続けて喋るとどうも疲れてしまって…。…ええ、どうやら私は知らない間に攫われてたらしいのね。 お父さんにはいつもぼんやりしてるからだなんて言われちゃった…うーん、でも私何も憶えてないのよね。 目が覚めたら遺跡みたいな所で…他にも沢山人がいたわ。どうやらシニョール・フォルゴレ達が助けてくれたみたい。 集団誘拐と説明をうけたけれど…違うと思うわ…私は昔からそいう事は不思議と解るのよ。探し物を見つけたり、天気を当てたり、人が怪我するのが判ったり…幽霊?…フフ…どうかしら…見えるかもね… きっと私達は人知を超えた存在に巻き込まれた…私の"声"はそう言っている…イル・モストロ――怪物…そう呼ぶのかしら… そして"声"はこうも告げているの…私はあそこで、何かを得て何かを失った。いえ、何かを失って何かを得たのかもしれない。けれどその二つは、同等の価値のものであると。 ここ…胸の部分にぽっかり穴が空いたみたい…ただ私の記憶にあるものは、揺り椅子に座って優しく揺られていた感覚だけ。いつか全てを思い出せるのかしら。 確かな事は、あれ以前と今の私は違うと言う事。ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ…新しい人生を私は生き始めたのだわ。 一人娘だし両親からは結婚の事とか言われるのだけど…きっと私は一生誰かを愛する事はないでしょうね。昔からそうだったんですもの…あの揺り椅子、このどうしようもなく愛しい気持ちを知ってしまってからでは、尚更だわ… ごめんなさい…もう休ませて貰ってもいいかしら…すっかり疲れてしまったわ。また夢を見ようかしら…ええ、私の夢、これも結構当たるのよ。不思議な世界が見られるし。 それじゃ…アリーヴェデルチ。 * * * あたし天使を見たのよ。 うーん夢だったのかしら?ううん、そうじゃないと思うんだ。あたしの心の深い所で、あれが確かに本当の事だったって、何かがあたしに教えるの。 表沙汰にはなってないんだけど世界的な集団誘拐があったのを知ってるかしら、詳しい説明は省かせてもらうけど、あたしもその被害者の一人だったって訳。 判らないな、いつどこで攫われちゃったのか何にも憶えがないのよ。結構長い事行方不明になってたのに、その間どこで何してたんだかそれもさっぱり!スポーツジムにも通ってるし体力には自信があるんだけど、何があったんだかあの事件の後は体中ガタガタよ。 でも一つ憶えてる事があるの。天使よ。あたしが天使に会ったのは、その誘拐されてた間だった。 ま、あたしも何か気の利いた事が言えればよかったんだけどね、ハーイ、ボンジュール、アンジェ、神様に言われて信仰のないあたしを回心させにきたのかしら?ってね。 でも本当にそうだとしたら、あたしは絶対に神様なんか信じてあげないわ。だってあの天使は凄く怒ってた。苦しんでた。悲しんでた。本当に、怒ってた。天使がよ? 何で天使がそんな感情を抱かなきゃいけない訳? 怒りや憎しみっていうのは、この世で最も苦しい感情だわ。 あの子、凄くちっちゃかった…――ま、天使って大体子どもなんだけど――小さな子を悲しませちゃいけない、大きな人が守らなくちゃいけない、これ、世界の常識。 あの子女の子かな。ううん、多分男の子…あ、天使って性別ないか。どっちにしろ、あの子は何にあんなに怒ってたのかな。それは幾ら考えても解らないの。でも、これは解る、凄く悲しい事にね。天使の怒りはあたしには癒せない。あたしはなんにもできやしない。 怒れる天使は何かに憎悪をぶつけていた。あたしはそれを見てるだけ。やめて、怒らないで、傷つけないで、それは君自身も傷ついてしまう事なのよ。そう思ってるのに。薄暗い夜のようなモヤがかかって、あたしはぼんやり立ってるだけ。口も利けないでいて、ただ天使の怒りだけが伝わってくるの。これ、どれだけ居たたまれない状況だか解る?あたしには何もできないと解ってながら助けたくて、それなのに動けないで、あの子がどんどん傷ついていく所を見てるだけ。Merde!苛立たしいったらありゃしない! あたしはこうして無事に家に帰れて、大好きなママやパパや友達とまた幸福に暮らせるようになったけど、あの天使はどうなってしまったの?怒りは癒されたのかしら。独りじゃないかしら。辛かったね、って神様に優しく言って貰えるかしら。…無理かなあ、そんな神様だったら、そもそも天使があんなに苦しむ筈ないものねえ。アハ、あたしってとことん不信心だわ。 あたしはママの優しさを知っている。あたしは今なら思うままに動く事が出来る。お願いよ、もう一度姿を現して、プティ・アンジェ。 ヴィエルジュ・マリーみたいに、これ以上ないぐらい、お膝の上で優しく優しく抱き締めてあげたいの。 * * * やれやれやっと寝付いてくれたな。騒がしくてすまなかった、今現在オレの最大の仕事はいかにあの子達を短時間で寝かせられるかという事でね。 こんな階段ですまないな。家の中は汚くてね、あの子達も起きてしまうかもしれないし。 さて、何を話そうか。リボンしてる子がいたろ?あれは一番上の妹でね、そしてあのリボンはあいつがしていたものなんだ。妹達に交代で使わせてるよ、オレがずっと持ってるより同じ女の子に使って貰った方があいつも嬉しいだろうし…何より、あの子と同じくらいの年の妹達のそんな姿を見て、あの子の事を感じていたいんだ。 ん、ああ、あれか…いや、あいつと一緒に闘った日々の事を、二番目の妹に話したんだよ。そしたら他の子達にも喋ったらしくて、いつも言われるようになっちまった、お兄ちゃんは天使と一緒にいたんだ、とね。 ああ、あの子は本当にオレの天使だった。正直最初は全く逆の事を思ったがね、ああ、こいつは正に魔物――悪魔の子だってな。あいつは本当にワガママで…罪を罪だと理解さえしてなかったんだ。でもそれは、本当の意味であいつが悪いんじゃねえんだよな、子どもを正しい道へ導かなくちゃならないのは大人の役目なんだから。 やれやれだ、オレにはそれができなかったんだがな、情けない。あの子を守りきる事さえできなかった。オレはいつだって守りたいと思っていたのにな。母さんを、妹達を、そしてあいつを。この身に代えても、守りたかったんだ。 店に――ああ今は何とか料理人やれてるんだが――あの子と同じ名前の女の子が来たりしてね…ハハ、オレときたら、名前を聞いただけで泣きそうになっちまうんだ、何でかな。こんな情けない男がパートナーじゃ、あいつも怒るよな。もう慣れてもいい筈なのに、オレは未だに感傷的になっちまう。 あ、今日の空も――あいつはとても可愛かった。顔なんか人形みたいでね、星屑みたいに輝く銀髪に、青空の様に綺麗な瞳。そう、今日の空はあいつの眼と同じ色だよ。 別に笑ってくれたって構わない。オレは時々空を通してあの子と話をするんだ。馬鹿げた想像だってのは解ってるよ。だが本当に、あの子の声が聞こえるんだ――あいつの笑う顔が見えるんだ。その通りだと嬉しいんだがね。あいつの悲しんでる顔は見たくない。どうせ今も毎日ガッシュちゃんの事ばかり話してるんだろうな、それがあいつらしいよ。 オレはそんなあいつが大好きなんだ。ビョンコ達とも仲良くしてるかな、一緒に手を繋いで。アルヴィンもそう願ってる。ああ、彼とは今でも手紙のやりとりしてるんだ。今度こっちにも来てくれるって、その時はオレの料理を食べて貰いたいよ。 ガッシュ達も生き残ってるかな。あいつの影響って訳じゃないが、強い瞳を持つあのガッシュに、王になってほしいと思うよ。そしてあの子とあの子が愛する全てのものを守ってやって欲しい。 なあ、オレの声は届いているかい。 オレはいつでもお前と一緒にいるよ。これから生きていく世界は違っても、オレはいつだって、お前の隣で一緒に歩いているんだよ、小さなオレのお姫様。 * * * 私はずっと暗闇の中にいました。あの頃の事は、そういう印象です。 私は一時期ずっと入院してたんですけど、事件の所為でちょっと記憶喪失、っていうのかな、一年近くの記憶がぽっかり抜けちゃってて… でも、何となく感じはあるんです。私はずっと真っ暗な所にいた、って。 その暗闇は、もしかしたら元々私の中にあったものなのかもしれません。私は私の闇に囚われてたのかも。 それと同時に、私はずっと夢を見ていたような気持ちです。実は、こうして元気になって、大学へ通えるようになった今でも、時々夢を見るんです。 内容は殆ど憶えてないの、でもきっと、それはいつも決まって同じ夢で、あの頃私が見ていたものとも同じ夢だって解るんです。 私は夢の中で…っ、…ごめんなさい、記憶の無い時の事を思い出そうとすると…強い頭痛がするんです。お医者様は何も問題ないって、シェリーももうすっかり大丈夫なんだからって言ってくれるんですけど…。 …夢の中はさっきもお話したような真っ暗闇だと思います。そこで私は、あの子を見つけるの。ええ、子どもです。 そこまでは判りません、でも、女の子みたいに綺麗な印象をうけるんですけど、多分男の子じゃないかと思います。 その子はそこにいて私を見ているだけ。私はいつも何かを話しかけてるんですけど、何も答えてくれません。 だけど私は、その子と一緒にいなくちゃと強く思うんです。いつも私を支えてくれたシェリーみたいに。 あの子は誰なのかしら?私ととても近い関係のような気がするんですけど。事件のショックの所為で私が作り出した夢の中のお友達かもしれません。けど私は、あの子がどこかに本当にいる気がしてならないんです。 どこかで出会えたら、夢の中の様に私はその子に語りかけたい、私がいるわ、と。 * * * 今?大学へ行ってるよ。…そう、小学校じゃないよ、大学さ、理解したかい? 飛び級の上に編入だったからね、うるっさいんだよ、皆。長いこと周りの眼が鬱陶しかったよ、今もだけど。 州で一番レベルが高い筈なんだけどね、何故だかガキっぽい人々が多いのさ。やたらと僕とお喋りをしたがる、男も女も。 からかってるのかそれともペドフィリアなのか知らないけどしつこい女性もいてね。僕に興味をもたれたかったらまずアンドロイドになってきて下さいって言ってあげたよ、サイボーグでもいいけど、って。 さあ?生身のボディにさよならする決心がついてないんじゃないの、まだ普通の人間のままだよ。 主にロボット工学に関する事を学んでる。僕の生涯の恋人だからね。そして僕は未だにコーラルQを探してしまっているんだ。 家でも学校でもどこでも何をしていても、気がつけば僕はあいつに繋がるものを探してる。あのさ、注意してなかったから今まで知らなかったけど、あの色、結構よく見かけるんだ、僕の本の色。 慣用色名はまだ探し中だけど…強い赤みの茶色。車とか煉瓦の色にあるんだ。…はは、感傷だね感傷、くっだらないね…こんな事にさえ拘るだなんて、全く僕らしくない。 あのさあ、その"天才"って言うのやめてくれる?僕、他人にそう言われるの大っ嫌いなんだ。 その一言で僕を括らないでくれよ。どうせ僕の知能が高いのは生まれつきで、しょうがない事?僕は生まれたその時から他とは違う人間?…まあいいさ。もう慣れた。 あいつは違うんだ。彼はそんな事まるで関係なしに、僕を認めてくれた。凄いと言ってくれた。退屈だった毎日を変えてくれた。自分を世界の中心だと思い込もうとしていた僕を、連れ出してくれた。世界の本当の広さを教えてくれた。 あいつは僕のヒーローなんだ。 確かに知能水準はそんなに高くもなかったけれど、思考は合理的かつ論理的で、物事の見方も賢かった。だから僕はあいつをパートナーと認めた。違うよ、常に優劣関係がころころ変わるような友達という脆いものじゃない、パートナー、だ。対等なんだ。僕らはそういう関係だった。 それに、ねえ、解る?あんなに不安げもなく、自分の全てを僕に預けて、頼りきって――それがどんな気持ちだか?あんな風に頼られたら、僕だって全力で応えるしかないよ。 セネカはこう言った、生きる事の最大の障害は期待を持つという事である、それは明日に依存して、今日を失う事である。僕はずっと前からそうして生きてきた。世界に期待する事なんてとうに諦めていた。 だけど、あいつが――あいつと出会ってからの僕は、5歳の頃に戻ってしまったみたいだ…期待せずにはいられないんだ。彼がまたひょっこり現れないかと。彼とまた一緒に笑える日がくるんだと。 ハッ、期待するだけ、なんてのはあいつと出会う前の愚かな僕さ、今は違う、変わらないのなら僕が世界を変えてやる。 さて、もういいかな。僕、忙しいんだ。彼ともう一度会う為に、色々とやらなきゃいけない事があるからね。 * * * この森でレインはいつも僕を肩車してくれたんだ。大きなレインの上から見る世界は、とても大きかった。ここがよく遊んでた海。レインの背中に乗って魚を獲ったり、深い所に潜ったり。凄く速く泳げるんだよレインは!船よりもずっと! ここの木陰ではよくお昼寝をしたよ。よいしょっと。疲れたからちょっと座るね。――ミッ!? な、何っ!? あ、ああびっくりした…鳥かぁ…ダメだね僕、この弱虫はなかなか直らない。だけどね、少しずつ、本当に少しずつだけど、僕は強くなっていってるんだよ。 どうして僕はレインを助けたか?うん、自分でも不思議だよ、あんな大きな見たこともない動物が血まみれで倒れてたら、僕は気絶しちゃってもおかしくはなかったのにね。だけどね、いい奴か悪い奴か判らなくても、傷ついて倒れてる人は助けるべきなんだよ。お父さんがいつもそうしてきたように。 僕は今までずっと助けられて、守られてきてた。お父さんに、その次はレインに。優しくて、とても強かったお父さん。レインはお父さんに似てたんだ。強くて優しくて、大好きなお父さん。大好きなレイン。 一人ぼっちで震えてた時だって、レインといればいつだって温かかった。レインはお日様みたいに優しかった。その優しさは、寂しさからもきているものなんだって、だんだん解ったんだ。レインはね、突然ヘンイで他の皆より体がとても大きくて、力も凄く強かったんだって。 それはレインの所為じゃないのに、皆はレインの事を仲間外れにしたんだよ、親でさえも、信じられる?それでね、だからレインはその内皆を傷付けるようになってしまったんだって。皆から嫌われた力で、皆を。それはいけない事なのかもしれないよ、だけど僕だってレインと同じ様だったら、それをやっていたかもしれない… だから自分と同じ一人ぼっちだった僕を、余計に放っておけなかったって。レインは、本当にレインは凄く優しいんだ。お父さんみたいに優しく僕の頭を撫でてくれた、涙を拭ってくれた、抱き締めてくれた!僕はとても臆病で、レインに何もしてあげられなかったのに。 僕がもっと強かったなら、今頃だってきっとまだレインは一緒にいてくれてたんだ。レインともっと一緒に遊びたかった。僕の一番の親友。 …こんな事ばかり言ってたら、レインにまた心配かけちゃうよね。僕は立つんだ、どんな奴の目の前でも、真っ直ぐに。ガッシュとキヨマロみたいに。お父さんみたいに。レインみたいに。 ねえレイン、今はまだ全然ダメだけど、僕もいつかレインみたいに強くなりたいんだ。レインが僕を守ってくれたように、僕も誰かを守れるぐらいに強く。 見ててね、今度は僕がレインを守れるぐらい強くなってみせるから。いつかまた、一緒に遊ぼうね、僕の大好きなレイン。 * * * あの子といた日は何だったのかしらね。私は何を得て、彼は何を得たんだろう。損得勘定という訳じゃあない、彼と過ごした時間の意味を私なりに自分の中で考えてみたいんだ。 私がパートナーであって良かったと、少しでも彼が思ってくれているといいんだけど。少なくとも私はそう思っているから。 私何しても長続きしなくて…だから今まで色んな事やってきたんだけど。格闘技も少しね。そういう経験が役立ったわ、彼に色々教えられた。あの子、強いんだけど粗暴で精神面でも学ばなくちゃいけない事が多くてね、なかなかすぐには憶えられなかったけど私は忍耐強い方なの。 それに彼、あれで可愛い所あるのよ、そう言ったらいつも怒ったんだけど、そういう所が余計可愛くて。やっぱり子どもなのよね。とは言っても彼はガキみたいに騒ぐタチでなく寡黙な方だったから良かった、私はお喋りな男は嫌いなんだ。 そして彼は強さを求めていた。 そりゃあ弱いよりも強い方がいいに決まってるわ。でもただ強いんじゃなくて…何ていうのかな、私は強くなりたいと足掻いている男が好き。がむしゃらに強さを求める姿を私は美しいと感じる。彼は美しかった。 私は別に彼を王にしたかった訳じゃなくて、王たる者に相応しいぐらいに強くなってほしかっただけなのかも。実際かなりそれに近い所まで行っていた筈なんだが。例え負けるとしても、私は彼に屈辱を与える負け方だけはさせたくなかった、それは美しい者に対しての侮辱でしょう? だけど、結局、本当はどうだったのかしら。私は彼に、何かを与えられたのだろうか?最近その事ばかり考えている。 ええ、今はまた歌を歌ってるわ。私が長く続けられるのは、これしかないみたい。と言っても前と違ってまたストリートからやり直しなんだけど。風を感じていたいのよ。 ああ喉が渇いた。葡萄をお一ついかが?おいしいわよ。前から好きだったんだけどね、最近はもっと好きになったわ。だってこれ、同じ色をしているから。 ――え?ああ、本よ。彼と私が共に繋いできた、あの本の色。 * * * どうしてこの世界はまだ存在し続けてるんだ?鬱陶しい虫けら共は、全部ぶっ潰される筈だったのに。 オレの夢は生きてるうちに世界の滅びを見る事なんだぜ。本物の黙示録が見られると思ってたのに。 いかれてる?どうだっていいね、例えオレがいかれてたってそれで困った事なんざ一度もねえんだからよ。家族だってどうでもいい、オレにしてみれば他の奴らがあんなに家族ってものを大事にする方が不思議だねえ。 何だかんだで結局あいつも一族ってのに縛られてたんだがな。 魔界の仕組みについてはよく知らん。だから王という地位がどれだけ価値があるのかもオレには解らない。支配者なんて退屈そうなのにな。 あいつの存在意義はどうやらその王になる事らしかった。その為だけに生きてきたのかもな、可哀想に。オレなら親からの期待なんて鼻で笑って棄てるが――実際いつもそうしてた――あいつは根がお坊ちゃんなんだなあ。 重荷に耐え切れないのならさっさと棄てればよかったのに。自分の命削ってまで期待に応えようとしてたんだぜ?あいつは好きだが、その辺だけは理解できなかったな。バカだよなあ…あいつはずっと、一族の奴らの為に生きてたんだぜ、自分の為にじゃなく。 目的が達成されたら重圧から解放されそうなもんだが…あいつの場合、王になれたらなれたで結局プレッシャーに潰されちまうんじゃないかと思ったね。 だからオレもあいつと一緒にあっちへ行くつもりだった。王様になった時も隣にいてやるつもりだったのに。親があいつを見捨てたって、オレは笑って今まで通り一緒にいてやるつもりだったのに。 オレには何の力もなく、あいつには力があった。惹かれるのは当然だろう?色々物知ってたが、根本的な所がガキでな、からかってやると面白かった。ある時気付いたんだよ、何もできねえオレでも、こいつを受け止めてやる事ぐらいはできるかもしれねえと。あいつみたいに強くもなければ一緒に重荷を背負ってやる事さえできやしねえ、だからオレにできる事は、あいつと共にいる事だけだったのに。 オレはどうすればいいんだろうな。世界を消し去る力もなく、あいつの所へも行けやしねえ。どうすればいい? 教えてくれよ、リオウ。 * * * こんにちは、どうぞそこに掛けてくれ。 …ああ、すまない、こんな風に話をするだなんてさぞかし礼儀知らずだと思うだろうね。でも、どうか許して頂きたい。あの日以来、心がどうしようもなくざわついた時、こうしてランプや暖炉の炎を見ると、心が安らぐんだ… 僕には父がいない。僕が生まれる前に亡くなった。おかしな話だが、僕は父の顔も知らないんだ。辛いんだろうね、母は父との写真を一枚も残していないんだ――いや、一枚だけあるな、母がいつも片時も離さず身につけているロケット…あれに父と母二人の写真が入れられているそうだ。彼女は決してそれを見せてくれないのだけどね。 そんな風に父との思い出は一つもないけれど、唯一つだけ彼から貰ったものが、僕のこの名だ。空を舞う鷲の如く強く気高くあれ。父はそう願って僕にこの名をくれたのだと、幼い頃からいつも母に聞かされていた。 礼儀作法や一般的な教養等は、全て母に教えて貰ったよ。彼女はとても美しい人だ。美しくて、優しくて、上品で、賢くて…とても、脆い人だ。 母は元々上流階級の出身で、父と出会う前から裕福な暮らしで、皆から大切にされて育ってきた人だ。いわゆる深窓の令嬢という奴さ。僕もよく世間知らずと言われるが、彼女は本当に世間というものを知らないんだ。花みたいにか弱い女性だ。 だからこそ余計に僕は、どうしたって母を守りたいと、ずっとそう思って育ってきた。母が愛した父の様に強くなり、彼女を守りたいと。そして僕は、その"強き者"の姿を見たのさ。 彼は本当に強かった、力も心も。心が強いというのは本当に素晴らしい事だ。僕は彼こそが王者に相応しいと思った、彼こそ魔界の王になるべきだと。 彼と僕は共に戦って、随分強くなっていった、王座まであと少しという所まで近付いていたと思う、だけど、――ああ、神様…。僕達はどこで間違ってしまったのだろう…リオウの誘いがきた時?ファウードの封印を壊した時?そのままリオウの下へ残った時?あの忌まわしい言葉を唱えた時? …ただひたすらに呪文を唱え続けた僕? ああ…そうだ、あの子は何も悪くない…この僕が、栄光の王座に続く道から彼を突き落としてしまったのだろう… 君は炎の花を見た事があるだろうか。この上もなく美しいんだ、その花は。彼は優しい花を咲かせる事が出来た、その美しいものを沢山僕にもくれた。極楽鳥の様な炎の鳥も見せてくれたよ、その鳥の様に、僕は綺麗で強いのだと――この僕が、何もできなかった僕なんかが! 散々彼を苦しめて傷付けておいて、ぬけぬけと以前と同じ生活に戻っている、こんな僕があの子のパートナーである資格があったのか?… 失礼…やはりこの辺りで限界だ、大した話もできなくて申し訳ない。 ああ、あの子は今、どうしているのだろう。どうか…どうか、前と変わらぬ瞳の彼に戻って、再び聖らかな輝きの中を生きていて欲しい。それが叶うのなら、僕はもう…赦されなくたって構いやしない、唯それだけでいいんだ。 ファンゴ、もう一度あの美しい、優しい花を――どうか。 子ども達と別れたそれぞれのパートナー達、という。ヤマもオチもないんですが…ある意味一番妄想詰め込んだ話ですね! まだまだ書きたいパートナーいると思うんでこれからもちょこちょこ書き足していきたいです あ、誰が誰かは取説に書いてます! 因みに子ども達独白。 05.8.10 06.3.7追加:連次、レンブラント、ガルザ、フランソワーズ、アドラー 補足説明 ペア間の絆が主体なんですが、一応これのテーマの様なものは、それぞれのパートナーが魔物と出会って「どう変わったか」 どの人も魔物と出会った事で世界をまるで別のものに変えられて、そしてその魔物と別れた後どうなったか。そこから歩いていく人と、立ち止まったままの人。強くなった人と、以前と同じままの人。魔物の子との思い出を糧に進んでいく人、思い出にしがみついたままの人。心大きくなった人、少しずつ歩き出そうとする人、変わろうとしない人。 魔物の子と同じく、「成長」がテーマです |