裏口を開けてすぐの所にあるゴミ捨て場に残飯を捨て、エプロンで汚れた手を拭った。
わざわざ金を払ってまで食べに来ているというのに、食べ残しをするとはどういう事だ?その感覚が本当に理解できない。こういう犬の餌にもなりそうな残飯でさえご馳走だという餓えた人々が数え切れないぐらいいるし、また自分もそうであった。 暫らく薄暗い路地でじっとしていたウルルは、ラビッシュ・ビンの蓋を閉めると店の中に戻ろうとした。
建物と建物に挟まれたこの狭い道に、小さな女の子が立っている事に気付いた。
「何か用かい、お嬢ちゃん」
セピア色の短い髪の毛に、鳶色の瞳のその少女は、色とりどりのビー玉がぎっしり詰まったガラス瓶を小さな両腕でしっかりと抱き締めて、ウルルをじっと見ていた。 話しかけられると、大きな眼をぱちぱちとさせて、よく通る大きな声を出した。
「あのね、白い子猫来なかった、お兄ちゃん」
「猫?さァ、来たかもしれないけど気付かなかったな」
「そっか、ううん、ちょっと気になっただけなの、子猫がここ入ってくの見えて、触りたいなって。ねえ、お兄ちゃんはここのお店のコックさんよね、あたしのお兄ちゃんが今日誕生日で、ここに食べに来たの、とってもおいしかったわ」
ウルルは微笑んだ、「Ta、それは良かった」 少女のすぐ傍まで行き、屈んで目線を合わせる。 「お兄ちゃんはまだ新入りだからロクな料理は作れないが、早いとこ一人前になってお客さんに料理出したいんだ」
「パティ!」
少女が何か言いかけたのと同時に、表通りから声が聞こえた。
無意識に、反射的にウルルは顔を上げていた。
「あ、あたしのお兄ちゃんだ。ビル、こっち!」
すぐに、バタバタと小さな足音が路地に入ってくる。10歳程の少年で、短く刈り込んだ髪は薄い金色だった。
「パティ、何やってんだよ、ママもパパも捜してるぞ、早く…」
「お兄ちゃん、ビル――ウィリアム、あたしのお兄ちゃんよ」
にこにこと笑いながら言う少女、戸惑った顔をする少年、ウルルは笑って手を軽く振った。 「G'day、ビル」
「え、あ、こっこんちは」
「ビル、このお兄ちゃん、ここのコックさんなのよ」
「あ、そうなんだ――パティ、お前ここで何してたんだよ」
「お話してたの」
小突きあう兄妹を見ながら、ウルルは口を開き――噤んだ。それを繰り返し、躊躇う様にしながら、声に出した。
「パティって言うのか、お嬢ちゃん」
うん、と少女はにっこり笑う。
「――良い名前だな」
眼の奥が熱くなってくる事に気付いて、目を押さえる。こみ上げてくるものを押さえつけた。
…やれやれ、笑ってくれよ、オレはお前の名前を聞いただけでこれなんだぜ。
「お兄ちゃんは何て名前?」
「ウルル、変わってるだろ」
「素敵、聖地と同じ名前なのね」
「パティ、…甘いものは好きかい」
「うん大好きよ、ケーキもキャンディも、バニラとチョコのダブルアイスも好き」
ウルルはズボンのポケットに手を入れゴソゴソと探っていたが、ベビーピンクの包みのキャンディを取り出して、それを少女の小さな掌に優しく置いた。 少女は掌のキャンディを見て、パッと笑った。
「わあ、ありがと、お兄ちゃん!」
「ストロベリー味だ、1個だけでゴメンな」
「ううん、お兄ちゃん、あたしもあげるわ」
少女は大切そうに抱き締めていたガラス瓶の蓋をキュっと回して開け、右手を突っ込んで一掴みのビー玉を取り出した。
「あ、何だよお前、それ俺にもくれない癖に」
「だってビルはいつもくだらないおもちゃって言うんだもの、そんな人にはあげない。はい、お兄ちゃん」 少女はにっこりと笑いながら右手を差し出した、「あたしの宝物」
カーマイン、バーミリオン、パールピンク、コバルトブルー、サファイアブルー、セルリアンブルー、エメラルドグリーン、ビリジアン、レモンイエロー、アメジスト、透明、螺旋状の虹色が入ったもの…様々な色の透き通ったビー玉が、この薄暗い路地でも輝いていた。 触れれば壊れてしまうかの様に、ウルルはゆっくりと、注意深く少女の掌から1つだけビー玉を取った。
「それだけで良いの?」
「これで充分だよ、キャンディ一つでこれ以上貰う訳にはいかない、君の宝物なんだろ?」
「うん、でも宝物だからいいの、大好きな人だけにあげるんだから。誕生日だからビルも後であげるわ」
少年は「別にいらねえけどな、そんな石ころ」と、照れた様に口を尖らせていた。
そんな兄妹を見てウルルは笑い、立ち上がった。少女の頭を撫で、次に少年の頭を撫でた。
「兄貴は妹の事ちゃんと守ってやれよ、ビル、それと家族の事も」
少年の瞳も、少女と同じ鳶色だった。頭を撫でられた少年はびっくりした表情で、けれども照れと嬉しさが混じった風に頬を赤くして、うん、と素直に頷いた。 そしてすぐに「あっ」と声をあげ、大慌てで妹の手を掴んで振り返って走り出そうとした。 「そうだ、パパ達の所帰らなきゃ!行くぞ、パティ!」
「あ、うんっ――お兄ちゃん、ありがと」
「また食べに来てくれよ、その時までにお兄ちゃんも料理の腕あげとくよ」 ウルルは手を振った。
「あのね、来月あたしの誕生日なの、だからまた来るわ」 そう言いながら少女達はもう走り出していた。 「See ya!」
路地から通りに抜け出した時、少女は大きく手を振って、見えなくなった。
「See ya――」
ウルルも手を振り返したが、「…来月まではキツイなあ…」と苦笑いしていた。
左手に握り締めていたビー玉を見た。大きな掌の中で小さなそれは、鮮やかな存在感を持って輝いている。日のあたる所で見てみようと、自分も通りに出てみた。 朝から日の差さない所にいたので全く知らなかったけれど、今日はこんなにも良い天気だったのだ。
太陽の光に目を細め、左手で顔を遮った。人差し指と親指でビー玉を持ち、陽に透かしてみる。
美しい、サファイアブルー。
あの子の瞳と同じ色。殆ど無意識にその色のビー玉を選んでいた。色んな感情をくるくると映す大きな青い瞳は、少しも色あせず記憶にある。
ウルルは目を閉じた。その瞬間、何かにふと気付いて目を開き、左手を下ろして空を見上げた。目を閉じた時自分が感じたものは何であったのか、すぐに解った。
ああ、そうか。
どこまでもどこまでも透き通る青空。例え世界は違えられても、きっとあの子も同じ空を見ているのだろうと、青空を見る度いつも想っている。 空と、ビー玉を交互に見る。もう一度、ビー玉を高く高く空にかざした。
あの子の瞳は、今日の空と同じ色をしていた。






自分の家にあるビー玉が詰まった皿見てたら浮かんだ話。
別の話書く為にオーストラリア英語色々調べてて、折角なのでこっちでもちょろっと使用。かなり怪しい知識ですが…

04.6.6


BACK