やはりくすくすと笑いながら少年は積み木を積み上げていった。その白い空間には二人の少年がいて、その少年は長いこと一人で積み木遊びをし続けていた。青い積み木の上に赤い積み木をこつん、こつんと置いていた。
頬の辺りの長さで綺麗に切り揃えられた、淡い金の色をした柔らかな髪の毛がさらりと揺れた。プリムローズの花畑にいればそこにそのまま溶けてしまいそうな金色だった。 少年の周りにあるのはそれは沢山の積み木だ。赤、青、緑、黄。三角、丸、四角。少年は次次に色の玩具を手に取り積み上げ並べ立て大きなお城を作り続けた。 もういいかい?まぁだだよ。もういいかい?まぁだだよ。もういいかい?もういいかな。もういいかい?もういいよ。 少年は楽しそうに楽しそうに手を止めた。おもちゃのお城ができていた。足元には小さな家家の様な色も積み上げられていて、それは一つの王国になっていた。少年は夢見るような表情で自分が作り上げた王国を見回した。ああ。ああ、楽しい、 楽しい、楽しい、楽しい、楽しいな。 その幼い少年は本当に嬉しそうに微笑んだ。そう、これから この王国を壊すんだ。 がっ。少しの逡巡も見せず少年は笑顔のままに大きく手を振るった。ごっ。ごん。足を動かした右手を動かした左手を動かした縦に横に右に左に上に下に。ごっ、ごっ、がっ、がしゃ、がらがらがらがらがらがらり。積み木の王国が崩れていた。壊れていた。消えていた。 少年の足元に残ったのはただのおもちゃの欠片達だけだった。自分が大きく作り上げ、自分が徹底的に壊しつくしたおもちゃの王国の瓦礫の中に立ち、その光景を見下ろし続けた。いつしか表情の消えていた少年の瞳が、少しずつ、愉悦の感情を帯びてきた。少年は震えを抑える為に自らの肩を抱き締めた。心の底から楽しくて楽しくてたまらないような笑みが顔中に広がった。 あ、は、は、は、は、は、はは、ははは、はははは! 少年は笑い出した、笑った、笑い続けた。楽しい、楽しい、楽しい、楽しいのだ。少年は喜びに陶然とした。あの子とも一緒に遊ぼうと、少年は嬉しそうに振り返った。 黄金色の髪を持った子どもの小さな背中があった。マリアさまの花に囲まれればそこにそのまま溶けてしまいそうな金色だった。けれどそうなってしまっても少年はこの色を必ず見つけ出せる自信があった。この子は少年にとって何より美しい鮮烈な金色だった。 「ねえ、やってみなよ。楽しいよ」 マリアさまの金色は動かない。少し待って、少年はまた言った。 「ねえ」 きっとこの子は一緒に笑ってくれるだろうと思ったのだ。 「僕と遊ぼうよ」 だがふと見ると、その子の周りにある積み木はちっとも組み立てられていなかった。それはただのがらくただ。がらくたに子どもは囲まれていた。 「どうしたの、遊んでないの。遊ぼうよ」 少年はその子に近づいた。背中しか見えていなかったがらくたの中の子どもの横顔が見える位置で足を止めた時、少年は、ぴくりと表情を歪ませた。 子どもはその手におもちゃの王冠を抱いていた。遊びもせずに、ひどく心細そうな表情で、ずっと空を見上げていた。 まだ、そんな王冠抱き締めて。 少年は憎悪の瞳で子どもを見つめた。許せなかった。 「…ねえ。遊ぼうよ。一緒に、僕と遊ぼうよ」 許せなかった。子どもは王様なのに、王様なのにがらくたに囲まれて、相応しくもない金メッキの王冠を大事に抱き締めて。そんな姿を見るのは許せない、そんなことをさせるのは許せない。何より、少年と遊んでいるのに、隣にいるのは少年だけなのに、一緒に遊ぶのは少年だけなのに、少年には見えない何かを見上げ続けている子どもが大嫌いなのだ。 「遊ぼうよ。ねえ…僕と遊んだ方がずっと楽しい、そんなもの捨ててこっちに来なよ、ねえってば」 子どもは手の中のくだらない王冠に寂しそうに目を向けた。それでも少年の方を見ようとはしなかった。 なんで僕の方を見てくれないんだ。 そうして子どもは再びどこかの空へと視線を戻した。そこに何かがあるのだろう。 少年はそこに立ち尽くしていた。泣き出しそうな顔になり、危うげな足取りで、自分が遊んでいた所へ歩き出した。 「…遊ぼうよ」 たくさん、たくさん、色とりどりの玩具が足元に転がっていた。すごく楽しいんだ。一緒に遊んだら本当に本当に楽しいに違いないんだ。お前にもこういうきらきらしてるものを分けてあげたいんだよ。 「……遊、ぼうよ…」 こんな楽しいことを何でやらないんだ、ばかだお前は。何で苦しい方を選ぶんだよ。 がくん、と少年は瓦礫の中に座り込んだ。その瞳はからっぽだった。背中合わせの子どものことを考えていた。いつも空を見上げてばかりのその子のまるで代わりのように、少年は地面を見ているのだった。少年達の周りにはひたすら空虚な白い世界が広がっていた。 何なんだよ。ごっ。ごっ。少年は力なく地面を小さな手で殴った。ごっ。ごっ。ごっ。僕は全部捨てたのに。お前がいるから僕は世界なんて全部捨てたのに。だったらお前だって、全部捨てて僕だけを見るべきじゃないか。 ごっ。ごっ。ごっ。ごっ、ごっ、ごっ、…。ふいに音がやんだ。音が聞こえても聞こえなくなっても相変わらず子どもはどこかを見上げていた。うなだれた少年の体が少しずつ震えだした。うう、と絞り出されたような微かな声がもれてきた。子どもは王冠を抱いていた。 うう、う、ううう、うあ、あ、うああ、あ、あ、あ、ああああああ。あああああああああ。 少年は泣き出した、泣いた、泣き続けた。相変わらず子どもはどこかを見上げていた。少年の泣き声はやむことを知らなかった。とめかたも知らなかった。 少年は泣いていた。 子どもは見上げていた。 ずっと誰かが手を差し伸べてくれることを待ち続けていた。 ふらりとよろめいた少年の体が、自分の想像の通り、二秒後には、どぅ、と地面に倒れた様を見て後ろにいた彼は笑い声を立てる。ほとんど痛みに近い恐怖を胸の奥で取り隠しながら。 「ばかだな、お前は」 眉間に皺のよった表情の少年に手を伸ばす。 「言っただろ。倒れると思った」 青白いその手を、少年は力なく払いのける。こんな時でも頼らない。まだ癒えない傷に歯を食いしばり、ゆっくりと少年は立ち上がる。彼は手を差し出したまま、何の感情もない顔で見下ろしている。 「オレがこうして動かねば、お前が餓えるんだろうが」 草むらを分け入り、少年は再び歩き出す。 「ああ、人間よりも上等な体質の魔物と違ってな、リオウ。それにこんな魔界なんかじゃ、益益オレは何もできない」 後をついていきながら、彼は服につく草を払い落としていく。こんな樹海のような場所に本当に食べられるものが存在しているのかと思うが、それでも少年は毎日必ず果実や獲物を持って帰る。 「だから残っていろと言った筈だ。こんな場所、歩きにくいだろうが、お前は」 「嫌だね」 彼は答える。 「そのままお前が帰ってこないなんて事になったらごめんだからな。オレは待つのは得意じゃないんでねえ」 少年は答えない。 いつだろうとその実際の重さを少しも感じさせずに身につけていた、黄金の鎧をもうまとってはいない少年の後姿は、重さから解放されたことによって、却ってそれまでよりももっと押しつぶされそうに見える。自由というもののあまりの軽さに。背負うもののない状態に。目的のない未来に。全て生まれて初めての経験に。今までずっとそうして生きてきておいて、それが何一つ報われることもなく、唐突に、もう何も頑張る必要がないという、むごたらしいこの状況に、少年はただ戸惑い、うろたえ、行き場をなくしている。 少年が手にいくらかの果実を抱えるほどに進んだ場所に来たとき、ぱっ、と音が聞こえるぐらい突然に視界が開ける。 食材を探す場所はその時時で違う場所だが、ここにはいつも必ず辿り着く。少年の、痛む体を引きずって外に出向く理由の大部分は、ここに来ることにある。 木木や草がおおい茂った、崖のようなその場所に立つ少年は、焦がれるような表情で遠くを見遣る。 黙って隣に立つ彼は、憎憎しげに少年の横顔を睨みつけている。少年の中にいる"あいつら"を。 ここからは遠い岩山がよく見えた。霞んではいるが、遥か遠くに高い高い岩山が聳えているのがよく見える。少年はいつもその頂上を見つめている。ずっと見上げてばかりの生き方だ。それが当然だったから、もう疲れたりしないのだろう。 木木の陰が覆いかぶさるこの場所で、少年の髪は鬱金色に見えて、ふと、きれいだなあ、と彼は思うのだ。 オレは、と、少年がぼんやりと声を洩らす。 「どうすれば良いのだろうな」 その問いは自分に向けられたものではなく、それに対する答えだって、自分から発せられるものを望んではいないのだと、彼は知っている。 「お前は」 けれども、苦しそうに返事をする。 「お前のままでいいんだぜ」 少年は答えない。しばらく静かなままでそこに立っていて、いつもそこにいるのと同じだけの時間が経過して、いつもと同じようにそこからゆっくりと歩き出す。 ばかだな、お前は。少年の後ろで笑っている彼がいる。 戻ってきた洞窟のような場所で、昨日までと同じように、何をするでもなく過ごしていく。何もする事がないので。ただ体を横たえ、雨風をしのげるだけの様な狭いこの空間に、彼ら以外には何者もいなかった。ずっとここにいるつもりなのだろうか?目を閉じて、じっと座り込んでいる少年の横で、彼は考える。全世界で足りなかった人にも、一つの墓で充分である。偉大なる王、アレキサンダー、あんたの墓に刻まれた言葉はどうやら正しいらしい。王になろうとした少年にも、最終的には、静かに体を休められる小さな場所があれば、それで充分なようなので。 ただあと少しだけ、その横に、自分が休めるだけの場所も空いていれば、それでよかった。彼はこの少年の隣にいられればいい。 けれど望んだものはこんな王国ではなかった。 彼は、自分と少年ふたりだけの王国を望んでいて、それなのにこの王国にはみんながいて、そのうえ少年は王ではない。 みんながいるこの王国で、とりわけ"あいつら"が大嫌いだった。 いつか得られることを信じきり、少年が盲目的に求めていたあいつら。少年自身ではなく、少年の中にある、「王」という幻影を追い求めていたあいつら。少年に、自分の為に生きるという事さえ教えなかったあいつら。 てめェらなんかに、リオウはやらねえ。 膝を抱き、彼は苛苛と、顔を伏せた。長く細い髪の毛が、ぱらり、と肩に流れ落ちる。 踏みつけて、奪ってばかりの生き方だった。彼は「与える」ということが得意ではなかった。それでも少年に何かを与えてやりたかったから、精一杯、彼なりにこれでいいと思うやり方で名前の知らない「何か」を与え続けた。けれど、その与え方は――オレがこんなにお前の為にしてやってるんだから、お前も同じようにオレに全てをよこすべきだろう、と――、同等、もしくはそれ以上の見返りを要求するやり方でしかなく、結局のところ、奪っているのと変わらないように見えるのだった。 孤独を愛するものは神か野獣だけで、そのどちらでもなければどちらにもなれない、ただの人間でしかない彼は、少年をひとりきりにしておくのは嫌でたまらず、何より自分をひとりきりにしない為に、少年を利用する。 彼はずっと、どうすれば少年の中のあいつらを殺せるかを考えている。少年の隣にいるのは彼だけなのに、今でもずっとあいつらに追い縋っている少年が、きらいだった。そんなおもちゃの王冠を抱き締めて、誰かの手を待ちわびて、まだ空を見上げてる。たまらなく、きらいだった。 少年がこっちを振り向いて、ずっとそのままでいてくれるのなら、別に自分に向けられるものが激しい憎悪であってもいいんだろうと思う。彼はどうすれば少年を、徹底的に、絶望させてやれるか、言葉を色色知っている。 例えば、お前は捨てられたんだよ、例えば、あいつらはお前の事なんか見ちゃいないだろう、例えば、王になれさえすればあいつらは"お前"じゃなくても良かったんだろうな、例えば、お前は王になれなかったな、例えば、お前はもうなんににもなれねえな、例えば、お前は王になるチャンスを、あいつらに認めて貰うたった一つの可能性を、金輪際、永久に、失ったんだ。 彼はこういう言葉のどれもを、やさしい笑顔で本当に言う事ができる。実際、ここに来て以来、何度も何度も言いかけている。しかし、言いかけるそのたび、なぜだか突然何もかもが面倒になって、それを言えずに終わるのだ。 代わりに、ばかだなお前は、と言いながら。 「ばかだな、お前は」 答えない少年に彼はつぶやく。膝をかき抱いた彼のそばで、少年は目を伏せて、ただじっとしている。ばかだな、お前は。ばかだな、お前は。 オレはこんなにもお前のことを望んでるのに、それでもお前はあいつらの方を選ぶのかよ? 「ばかだな、お前は」 もう音は出さず、唇の形だけでつぶやいている。彼は全部知っている、少年が欲しい言葉も、望んでいる声も、求める場所も、焦がれる存在も、そのどれもが自分ではないと。だから彼はずっと考えている。どうすればあいつらを殺せる?リオウ、お前が本当にお前自身になるためにも、それが絶対に必要なんだ。 今すぐあいつら全員消えちまえばいいのに。彼はひたすら思い続ける。実際にそうできるだけの力がないから。何の力もない彼は、少年の隣にいるだけだった。今までどおり、笑いながら、一緒に。 はあ、と、ため息をついて、彼は少年の前にごろりと体を投げ出す。もう眠ることにする。何も考えなくてもすむように。 少年は彼に視線をやって、傷を負った小さな手で、彼の髪を撫ぜてくれる。彼は自分のきれいな髪の毛が好きで、近頃は、少年にこうしてもらう時の為に整えておいている。 少年の手に幸福そうに目を細め、ゆっくり彼は瞳を閉じて、今日も胸の内であいつらをみなごろしにして眠りに落ちる。 明日になったら、この王国には、オレとリオウ以外に誰もいなくなってたらいいなあ、と、いつものように夢見ながら。 他所様では拝見しながらも自分では全然考えた事なかった未来ネタというか魔界ネタというか。唐突に浮かびました。何でぎーごー魔界にいるのとか過程すっとばして結果だけ考えてます。というか毎度ながらライムライトは明日は明るい日と書くのよ的未来が浮かびまてん。 あ、それとリオウの一族が高い所に住んでるっていうのはマイシスターえりちゃんの設定で、それからずっとそういうイメージが! 07.3.12 |