毛布に包まった子どもがもぞもぞと動き出すのを私は見守っていた。
その子どもの頭部方向、ベッドの上にある出窓に腰掛けている私はその子を見下ろす形になっている。
毛布の下から小さな手が伸び、ベッドサイドに置かれた眼鏡を掴んだ。習慣となっているのだろうか、目も開けずに眼鏡を正確に掴んだ様は人間なのに見事である。 ベッドの上に座り込み、重たげな瞼をこすりこすり眼鏡をかけたその子に、私はこの状況に相応しい挨拶をした。
「おはよう、グラブ」
彼は私に焦点をあわせた。ぼんやりとしていた表情が、砂の上に零れた水滴があっという間に広がっていくかのように、興奮で輝いたものとなった。
「すげえっ!」
肩にかかっていた毛布を跳ね除け、グラブは私に跳びついてきた。昨日の反応の方がもっともっともっと、数字にすれば100倍は凄かったから、今の私は驚かない、慌てない、私は学習できるのだから。
「凄いぞ、寝て起きたけどまだいるぞ、魔物が、コーラルQが!夢じゃないんだな本当なんだな、変形ロボだ!」
「ピッポッパ、そうだこれは現実だ、お前は私の本の使い手なのだぞ」
「本?ああ本ね、理解してるよコーラルQ、よーくね。でも――ああ――大事なのは君が今ここに存在しているという事さ、この事実があれば世界なんてもう沢山だ!」
「グラブ、少し落ち着くピヨ」
「落ち着いてるよ落ち着いてるさ落ち着いてるともコーラルQ、コーラルQ!凄い、凄い、凄いぞ!なあコーラルQ、そうだ本だよ、また呪文唱えるぞ、いいだろ?また昨日の見せてくれよ、魔物の術を、変形を!」
少しも落ち着いていないのが見て取れる。見ただけでグラブの体温が上昇しているのが判別できるのだから。
眼を輝かせて本を開いたグラブに私は慌てふためいた。別に呪文を唱えられる事自体は良いのだが、それからが大変なのだ。昨日、初めて変形して見せた時のこの少年の狂喜ぶりは表現する術もない。私が知っているどんな大人よりも冷静で賢そうな子どもに見えたのに、グラブは涙さえ流したのだ。しかもその後も何度も何度も変形、解除、また変形、の繰り返しだ。それで満足せず今日再び変形を見たいというのか、この子は。確かに私の偉大かつ華麗な変形を見れば声をあげて賞賛したくなるのは当然であるが、グラブの反応はどう控えめに言っても異常としか言い様がない。
本の輝きが眩しいまでに強くなっている。攻撃呪文でもないのに何故そこまで心の力を込めるのだ。だから怖ろしい。
「あ」
瞬間、本の光が消え、ぱたんと閉じられた。
「ご飯の時間だ。また後で、コーラルQ!」
ドアを開け、「今行くよ、お母さん」と言いながらグラブは扉を閉めて階段を下りて行った。
私は自分も酷く空腹だと言う事に気がついた。昨日、つまり人間界に来てからまだ何も食べていない。そういえば昨日、夕食の時もグラブに置いていかれ何となくこの部屋にいたが、もしかしてグラブは私が何も食べない魔物だと思っているのではないだろうか?だってグラブは食べ物を持ってきてくれなかったばかりか、私に腹が減っていないかとさえ訊かなかった。人間界のロボットはどうだか知らないが、私は生きている限り何も食べなければ確実に餓える。
グラブが戻ってきたら、その辺りの事をきっちり説明しておく必要がある――そしてまずすべき事は、食べ物を持って来て貰う事。


「ナンセンスだ」
やかましい。グラブにとってもそうであるように、食べる事は私にとっても死活問題なのだ。それを無意味だとか馬鹿げているなどと一言で片付けられては私は怒る。
「私は生き物ピヨ!お前と同じくお腹が減るのだ!とにかく何か食べたいピヨ!」
「はーぁ、ロボットがモノを食べる…?」 溜息のつき方がまた腹立たしい…。 「フン、まあ斬新ではあるんじゃないか。オーケイ、とりあえず受け入れてやるよその事実。これ食べるか?僕のおやつにと思ってたんだが」
グラブが差し出したのはチョコレートだった。こういうベタベタするものは体につくと取れにくかったり、故障の原因になったりするのであまり食べなかったが、嫌いではないので頂いた。
「ピッポッパッポ、随分甘いな」
「ミルクだからね。好きなんだ」
「ペッポッペ、子どもっぽいピヨ、プップップ」
「お前その笑い方やめないとスイッチ入れたプレス機にセットするぞ」
ひたすら黙って食べ続けた。昨日のグラブの興奮ぶりや、私に出した王の戦いについての交換条件から考えるにグラブが私を傷つける事はまずあり得なかったが、グラブがいつも浮かべている、口の端だけを僅かにあげた程度の微笑が非常に怖かった。スイッチを入れたとかやたら具体的に言うのが妙にリアルで怖かった。
ところで私達は今ベッドの上に座っている。
床に座ろうにも、あまりにも多くのものがありすぎて、歩く事さえ困難なのだ。この決して狭くはないグラブの部屋には、パソコンとかいう物、ゲーム機とゲームソフトとかいう物、ハンダゴテとかいう物、製図台とドラフターとかいう物、ロボットのような物、デスク、テレビ、様々な部品、コード、設計図、山積みの雑誌、よく判らない機械…等々とにかく色んなものが床に置かれている。二つある本棚にはぎっしりと小難しそうな本が詰め込まれているし、更にクローゼットには何が入れられているのか見当もつかない。衣服類では決してない筈だ。よくこんな部屋で暮らせるものだ。 そんな部屋の中で何故だか壁にぽつんとかけられている白衣が目立っている。
チョコを食べ終えた後、グラブは早速私の変形の模様を何十回も存分に楽しみ――お陰で彼は「心の力を使いすぎるとどうなるか」という事を身を以って味わった――、十分程休憩(私も疲れた)した後ベッドの上で姿勢を正し、これからの事を話し合った。つまりいつこの家を出発するか?旅の間の費用等はどうするか?等という事をだ。
「少なくとも最低一週間は出られないな、色々片付けておきたい事が――図書館に本も返さなきゃ――あるし。ああ、パスポートとるの面倒臭いな、いいかなとらなくて」
「親には何と言って出かけるつもりだ?」
「何も。世界に広がる無限の未知なる物を研究すべく暫らく家を出ます心配しないで下さいとか何とか書置きしておいて、こっそり抜け出せばいいさ。携帯電話も持っていくから、僕の安否を確かめたいならメールを送って貰えばいいし――僕の方から連絡はしないが」
「…いいのかそれで」
「問題ない。今までも結構似たような事はしてきた」
何者だお前は。
まあ、グラブの家庭の事は私には関係ないとして、しかし金はどうするのだろうか。グラブの家はそこまで金持ちそうには見えないのだが…けれどこの部屋に詰め込まれた高そうな物が買えるのだから、やはり金持ちなのか?
「金はどうするピヨ。この部屋の物などは買って貰ったのか?それならとりあえず金はあるという事か?」
グラブはくすりと笑った。 「違うよ、コーラルQ」 爪先立ちで床におり、パソコンとかいう物の傍まで行って、それをポンと叩いた。 「こいつのお陰で世界は随分便利になった。金まで作り出してくれるんだから」
どういう事かよく解らなかった。首を傾げると、グラブはデスクの上に整理してあるフロッピーという物を手にとって言う。
「僕がインターネットで色んな所にアクセスして、そこで得た情報を流すと結構なお金をくれる人達が沢山いるんだよ。ハッキングって知ってる?」 フロッピーを口許にあて、グラブは笑った。
「知りはしないが」 その瞳の色に危険なものが混ざっていたので私はこう言った、「犯罪の臭いはするピヨ」
「犯罪じゃない、子どもの場合触法行為っていうんだ」
どっちにせよ危険な行為であるという事だ。――人間の子どもは皆こんなものなのか?私は悩まずにはいられない。
「あと、新聞社とか雑誌がやってる賞金つきのクロスワードパズルなんかに応募してる。お母さん達はそのお金で僕がこういう物を買ってると思ってるみたいだ」
「お前良いのかそんな事で、知ったら両親が悲しむぞ」
「知られなけりゃいいんだろ?僕だって今以上の心労を与えたくはないよ」
お前はそれほど親に苦労をかけているのか、と言いかけたが、そう言った時のグラブの表情に微かな翳りが見えたような気がして、口を閉じた。 殆ど一日中部屋に閉じこもっているようだし、この少々破綻した性格だ、親もそれは苦労するだろう…という私の考えよりも、もっと深いものがあるように思えた。
私は話題を替えることにした。
「グラブはパソコンとか、そういう機械が好きなのか?」
「好きだよ」 ぱっとグラブの表情が明るくなった。 「大好きさ、ロボットなんか特にね、その次がパソコン!パソコンはさあ、情報収集に恐ろしく役に立つし、改造するのが面白いんだよね。このパソコン世界で一台しかないぜ、この僕が徹底的に改造したからね、最新型なんか目じゃないよ」
話しながらグラブはまたベッドの上へと戻ってきた。枕元に並べてある沢山の本の中の一つをとる。
「でもやっぱり何と言ってもロボットだよ」 本の表紙を撫でながら、夢見るような表情で言う、「紀元前8世紀、ギリシアの詩人ホメロスによって作られた抒情詩『イリアス』に出てくる黄金の少女、彼女こそが人間の歴史に初めて登場した最古のロボットだ。ヘロンの自動ドア、イスラムのからくり人形、ヴォーカンソンのアヒル、ジャケドロスのオルガン演奏人形、文字書き人形、"ロボット"という言葉を生み出したチャペックの『エル・ウー・エル』、そして1946年最初のコンピュータENIAC完成…」
最初私はグラブは本を見ながら喋っているのかと思ったのだが、表紙を眺めているばかりでページは全くめくっていない。それで全てが彼の頭の中に入っているのだという事に気付いた。
「世界初のヒューマノイド知能ロボットは、1973年に日本が完成させたWABOT-1。素晴らしいね、科学の進歩は止まるという事を知らない、ほんの30年しか経っていないのに、ロボット工学の技術はまだまだ進歩している、現在進行形でね。このままだと――」
初めは実に楽しげだったグラブの声が、やや曇ってきた――どうしたのだ?私はグラブを見た。
「このままだと、人間そっくりなロボットが完成するのもそう遠くない未来になりそうじゃないか…いや、きっと僕が大人になっている頃にはもう一歩って所まで――動物ロボットだって次々と造られてるし――」
すっと本を元の場所へ戻した。それからグラブはゆっくりとベッドの上でうずくまり、俯けの状態になった。
「グ、グラブ?」
「あのねコーラルQ、僕は自分の目で実際に見たもの以外は絶対に信じないし、非科学的なものは大嫌いだけど、科学万能主義者って訳でもないんだ。だって科学なんて――所詮――人間の生み出した学問じゃないか、それで解明できるものはやっぱり人間の生み出したものだけだよ。くそっ、僕は時々科学の無力さが嫌になる」
グラブは吐き捨てるように言って、枕に顔を埋めた。
「1.618」 くぐもった声が言った。 「こんな2にも満たない数にさえ科学の力は及びやしない、何なんだ科学って!ああ、この数字が何かって?黄金比だよ、1. 6180339887 4989484820 4586834365…まだまだ続くよ、世界で最も美しい比とされるこの数字は何なのか?しつこいまでに自然界にその存在を現わすこの数字は何なのか?判っちゃいないのさ、こんな小さな数字さえ…」
しばらく沈黙。人間界においての黄金比とやらについて何も知らない私は、この子にどう答えるべきかも判らない。じっとしていると、僅かに顔をあげまたグラブが喋り始めた、先程よりも一段と憂鬱そうな声で。
「僕は時々哲学者になりたくなるよ、コーラルQ。科学は常に大いなる矛盾を抱いている。今よりもっと昔、人間が鳥の様に飛ぶだなんて事はばっかみたいな空想で、ただの夢でしかない、非科学的な事だった、だけど20世紀、そうやって人々に嗤われながらライト兄弟は大空に飛んだ。つまり――解る?コーラルQ、非科学的な目標を持っていないと科学の進歩はありえないって事をさ、何てパラドックス!ロボットだってそうだ、元々狭義的な意味での――人に近いロボットっていうものは空想世界の住人でしかなかったのに、人は今確実に空想世界に近付いて――これはどうなんだ、科学的なのか非科学的なのかSFの世界が現実になるって事はつまりどうなんだねえどう思いますかアイザック・アシモフ僕は僕は――ああ!」
拳でベッドを叩き、グラブは突っ伏した。
「…しばらく静かにしていてくれ、コーラルQ」 眼鏡をベッドサイドに置いた。 「疲れた。少し寝る」
人間の脳の仕組みというのはよく解らないが、どうやらグラブの回路は時々ショートに似た現象を起こすようだった。私のように煙が出ないだけまだましな所だろう。しかし高度な知能指数を生まれ持つという事は、なかなかに幸せとは遠い位置に立たされるものなのかもしれない。グラブは常に色々な物事を深く深く考えてしまって、それによって煩わされているのだろう。私は何だかグラブを可哀相に思った…まだほんの子どもなのに、と。
――だから私はこの時"それ"を決めたのだ。
私がこの子の友達であろう。
グラブが親にも友にも理解されない空虚な穴を独りで抱き締めているのなら、魔物とパートナーという他では絶対にありえない事実を共有しているこの私が、せめてその虚ろを一緒に埋めよう。そうすれば、この子だって幾分かは楽になるのではないだろうか?どんな者にだって心の拠り所は必要なのである。
そう決心した私は、うつ伏せになって寝ているグラブの頼りなげな肩にそぉっと手を置いた。 「グラブ――」
いきなりその手を摑まれ驚いた次の瞬間には私はもう息が詰まるほど抱き締められていた。
「ブビビボボボ!」
「あはははっ!だけどだけど!僕の所に魔物が来た!『ダークストーカーズ』のヒューチルみたいに変形するロボットだ!ねえ、そんなの今まで悩んできた事なんて、全部吹っ飛ぶだろ?最高だ!」
それから更に強く私を抱き締めて、「本心を打ち明ける友人を持たない人々は、自分自身の心を食べる食人種に変わりない」 と、急に語調を変えて言った。 「ベーコンの言葉だ。確かに僕はカニバリズムなのかもしれないね、だけどお前がいれば――君という存在がこれからも僕と在り続けてくれるなら、僕は自分の心を食べなくていいようになるに違いないんだ。お前は間抜けだけど、頭は悪く無さそうだ、良い話し相手になってくれよ、コーラルQ」
「グガガガガガ苦しいグラブ…!」
「あ、すまん」
グラブはやっと力を緩めたが、相変わらず私を抱き締めたままだ。その動作と言葉に、この子の中にもある幼さを見つける――ほんの一握りの幼さを。
――だからなのか?
グラブの今の言葉を考える。グラブは私がこの戦いについての説明を終えた後、私を覗き込み、何の感情もない眼で訊いたものだ。
訊くぞ、魔物、コーラルQ、お前は"王"という存在がどんなものか解っているか?王っていうのは、寂寥で、孤独な存在だ。ひとりぼっちって事だ。――お前はそれに、耐えられるのか?
魔界にいた頃友だった者もこちらでは全て敵、かつての仲間を蹴落とし手に入れる王位なら尚の事だと、この子は言った。そう、私はグラブに言われるまで、それについてまるで考えていなかった――そんな当たり前の事を。確かに、私の友や見知った者も幾らか王候補に入ってこちらに来ているだろう、彼らを私は倒せるのか?…
構わない、私は王になる為にここへ来た。
そう答えるとグラブはニッと笑って言った、グッド、良い子だ、コーラルQ。僕は無能と腰抜けは嫌いだよ。
この戦いのシステム、僕は好きだな、チーム戦って僕、大嫌いなんだ、ロボットコンテストっていうのがあるんだけどね、大体においてグループで出場しなきゃいけないんだ、くっだらない、僕は設計も製作も組み立ても操縦も攻略作戦も、全部一人でできるのにさ!何で足を引っ張る間抜けどもとわざわざチームを組まなくちゃいけないんだ?
私自身にもよく解らなかったが、その時突然感じたものがあったから、この幼い少年に訊いてみた――お前も孤独なのか、と。
けれど少年は笑った。コーラルQ、教えてやるよ、この僕も王になる君も――こういうのは孤独と言うんじゃない、"孤高"って言うんだ。
グラブは私を抱き締めている。そうする事で自分の中にぽっかりとある穴を埋めようとするように。
ああ、だけど、とあの後グラブは続けたのだ。孤独って表現されてもいいのかもな、孤独は優れた精神の持ち主の運命である、だからな、ショーペンハウアーの言葉だよ。
そんなにも寂しい言葉をこの幼い子どもは笑いながら、何でもない事の様に言ったのである。常に変わらぬ、温度の低い眼で。
グラブ、お前はその年齢で――自らの孤独を"運命"と、受け入れているというのか?
「グラブ」 と、私は腕の中で言った。 「いつでもお前の話し相手になろう、我がパートナー。私はお前を裏切らない」
私はお前の友達だ。
だからもう、自分の周りにシールドを張って、たった一人で暗闇にうずくまる必要などないのだ。
「僕もお前を裏切らない。昨日も言った通り、お前を王にしてやるよ」
どうやら私達は良いパートナーになれそうだ。昨日はこんな子どもがパートナーでは、王になる夢は早くも砕け散ったと大いに嘆いたものだったが、寧ろこの子がパートナーだからこそ私は王になれるのかもしれない。
などとグラブの腕の中でしんみりとしていたら、
「で、早速なんだけどさあ」
唐突にそこから引っ張り出され、ぐるんと逆さづりにされ、ぶらぶらと揺り動かされた。 「君の体の中、どうなってるか見せてくれないかな。今ずっと触ってたけどお前そのものにも熱はあったよね、それって体温?アクチュエーターは?電気モーター、油圧ピストン、もしかして電池じゃないよな?」
「ピッポッポッパッパッパッ!くるしっ、眼がまわっピポッ」
「へえ、凄いな、ひょっとして五官が備わってるのか?あっ、じゃあ痛覚は?えーと待って、ナイフが床にあったはず…」
ベッドの上から屈みこんで、グラブはミニカオス状態の床を探り始めた。宙吊りのままの私は本気で身の危険を感じた。
半身を起こして、私の両足を掴んでいるグラブの右手を思いっきり叩いてやった。 「やめるピヨッ!」
「いたッ!」
私は華麗にベッドに着地する。キッとグラブを睨みつけ――ると、少年は呆然とした表情で私を見ていた。左手に握った所だったナイフが再び元あった場所へ落とされる。 それから芝居がかった大袈裟な身振りで、額に手を当てた。
「――ああ、偉大なるアイザック・アシモフ、貴方はどう思われますか?このロボットの陽電子脳には、ロボット工学3原則が組み込まれてないようなんです!」
あ〜〜……何だ、この子は…?
いきなり何者かと電波を交信し始めた少年に今度は私の方が呆然としつつ、「先程から言っているが、何者だそのアイザック…というのは?それに3原則?」
「西暦2058年発行第56版『ロボット工学ハンドブック』記載、ロボット工学の3原則第1条」 額に手を当てたままグラブは言った、「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する事によって、人間に危害を及ぼしてはならない」
「何、人間界にはそんな法律があるのか!」
「ばっか」 一瞬で口調が変わった。 「西暦2058年って言ったろ?未来だよ未来――それも本の中のね」
「…本?」
「アイザック・アシモフ著、『私はロボット』。僕の愛読書だ。現在までに至るロボット工学に多大なる影響を与えた偉大な小説、Mr.SFの呼び名を持つSF界の巨匠であり科学者でもあった偉大なるアイザック・アシモフ。アイザックっていう名前はそもそも――やめた、いいや、聖書の事まで説明しなくてはいけなくなる」
こちらとしても聞きたくはない。危うく手を叩いただけで壮大な聖書――魔界で勉強して、その存在は知っている――の話まで持ち出される所だった。
と――いきなりグラブが何の前触れもなくベッドの上にバッタリと倒れた。 「グッグラブ!どうしたピヨ!?」
「寝る」 あっさりとその子は言った、「もう起こすなよ、僕が起きるまで。家の中は好きに歩き回ってもいいけどお母さん達に見つからないように、トイレはこの階と下の階のそれぞれ突き当たりに、食べ物は一階のリビングにあるから…それじゃ、またね」
全くもって――本当に――この子ときたら!
私は叫びだしたくなったが歯軋りしながらベッドの上で地団太を踏むだけに抑えておいた。自己中心的という言葉がこれほど似合う者に初めて出会った――しかもそれは私のパートナーなのである。 毛布から覗いているふわふわした髪の毛をひっぱりたくなったものの、そんな事をすればプレス機とやらにスイッチが入れられてしまいそうだったので、やらないように床に跳び下りた。
さてどうするか。床にあるものを必死で避けつつテレビの前へ行ってみた。これは興味深い。電源と思しきボタンを押す。
パッとカラフルな世界が現れた。実際の生物でなく色のついた絵が動いており、これはなかなか面白そうだ――む?
「ピポーーーーッ!変形したピヨ変形したピヨ!おおミサイル!しかも合体した!素晴らしい!何と強そうなのだ!ピポパッ!」
ロボルクで私も見事なロボに変形できるが、これは合体までしている。憧れる。是非ともそういう術を覚えたいものだ。
「コーラルQ」 非常に興奮しながら画面に見入っていると、後方からかすれた低い声が私の名を呼んだ。 「…うるさい」
私は大人しく音量を下げる。叫ぶのも心の中だけにしておく。今のグラブの声は本当に恐かった。
そしてテレビも観終わり、大満足で私は昨夜もいた場所、つまりはベッド上の出窓に戻っていった。今夜はいい夢が見られそうだ。



翌日、グラブは朝からベッドに座って壁にもたれ、黙々と何かを書いていた。ラジオからは心地よい音楽が流れている。
「ピポパッ、グラブこの曲は何だ?」
「さあ、興味ない――ダリウス・ミヨーの曲だって言ってたな、確か」
「ダリウス・ピヨー?」
「ミヨー」
「ピヨー?」
「…うん、そうだよ」
やっぱり気が散る、と言ってグラブはラジオを消した。ガシガシと頭を掻いて俯く。
「Shucks!――ダメだな、何か気分転換したいな」
「何をしているのだ?」
「プログラミング。ちょっと行き詰っちゃってさ」
「プー…グラブ、お前と言う奴は日がな一日そんな事ばかりして、あれだ、ガールフレンドの一人もいないのか?」
「僕女に興味ないから」
何だか今とてもおかしな言葉を聞いた気がしたが、更に危険な言葉が聞こえてきた。 「っていうか人間に興味ないし。女性ヒューマノイドの製作でもしてた方がずっといい。ああ、と言っても別にピグマリオニズムって訳じゃないから」
何ニズムでもどうでもいい。私は急激にこの少年の将来が心配になってきた。
グラブの隣に寝転がっていたが、さりげなく横にずれていった。グラブは手にした紙を見つめ、ブツブツと何か言っている。やはりうまくいかないのか、道具類を横において溜息を吐いた。
「そうだっ」 グラブは急にぱっと顔を明るくさせ、「お前さ、ゲームやらないか?」 とベッドからおりて靴を履き、器用に床の障害物をひょいひょいと避けてテレビの前でごそごそと何かをひっぱりだしてきた。
「対戦格闘ゲームなんだけどさあ、一人でCPU相手にやったっておっもしろくないんだよね、アーケードで人間相手にしても皆弱っちいしさ。お前は魔物だから、ひょっとしたらそこそこ相手になってくれるかも」
「ピポパッ、待て知らないぞ、そんな急に言われても人間界のゲームなどした事が…」
「大丈夫だよ。ほら、ちょっとこっち来いって、操作とか技の出し方とか基本的な事教えてやるから」
言われて私もグラブの所へ行った――グラブと違って障害物に何度もぶつかりながら、だが――。既にスイッチがいれられており、音楽が流れゲーム画面になっている。
「十字キーで動かして、四角と三角と左上が大中小パンチ、バツと丸と右上がキック、それで相手と逆方向にキーをいれたらガードで、…」
コントローラーを私に見せ、実際にボタンを押しながらてきぱきと説明を進める。テレビゲームなど本当の本当に初めてで、ガードの概念すら解っていない私だというのに、そうガンガン説明されても理解できないのだが。 しかし早くゲームをしたくてたまらないという表情のグラブにそんな事を言うのは怖い。それでも一通り説明がすんでから理解できなかった所をもう一度説明して貰った。けれどそれが何回も続くと最後にはもう、
「ああもう、何で一度で覚えられないんだ?ほら説明書あるからこれ見ろ、それでキャラ決めてトレーニングもかねて一回プレイしてみろよ」
そうする事にした。
聞けばこのゲームのキャラ達は殆ど全員が私と同じ様に魔物なのだそうだ。何とも親近感がわく。 名前が気に入ったのでQ-Beeという蜂のようなキャラにしてみた。
「キュービィか。ダイアグラム最強だけどテクニカルキャラだ、初心者にはあまりお薦めしないが」
「いや、見ろこの名前!素晴らしい!これ以外考えられないピヨ!」
「お前がいいならいいけどな。ま、やってみろよ。あ、僕とやる時はちゃんとフェアにハンデやるからさ」
説明書を10秒おきに見つつ、必死でガチャガチャとコントローラーを押し続けた。2面もクリアすると大体慣れてきた。
「どうだグラブ!」
ボス戦も近くなった頃、初めてなのにと自分の腕前に感心しつつグラブを振り返ると、グラブは顎に手を当ててじーっと画面を見つめていた。 「うん、成る程ね」
「な、何だグラブ…?」
「あ、気にするな。さ、次はリクオだ、トリッキーな攻撃に気をつけるんだね」
一度コンティニューをしてしまったが、遂にボスを倒しエンディングを迎えた。感慨に浸っているといきなりスタート画面に戻った。
「ノォ―――――ッ!?」
「オーケイ」 と言ってグラブはにっと笑った、「お前のプレイスタイルは大体解った。さあ、始めようか」


私はハッと顔を上げた。
窓の外を見る。 「グラブ」
画面に顔を戻すと、グラブご執心のヒューチルという変形ロボ(合体もする。憧れる…)によって恐ろしい攻撃が繰り広げられている所だった。ああ、やめろやめろ私のQ-Beeが…
「グラブ!外に出るピヨ!」
「何だコーラルQ、この15分間で23回も僕に負けてしまったからといってリアルファイトを開始したいのかい?」 私にすらできない速度で指を動かしながらグラブが言う。
「違うピヨ!尤も、この部屋どころか家ごと破壊されてしまっても構わないのなら、このままここにいても問題ないが」
言った途端、ゲームの電源がきられた。 「――魔物か?」
そうだ、と私は頷く。アンテナがぐるぐると動いている。
「遠くない――恐らく空を飛べる魔物だな、2キロ程離れた所にいるが、どんどんここに近付いてきている」
「コーラルQ、お前、それ」 私のアンテナを指差し、「魔物の強さも判るのか?」
「当然判るとも!そうだな、現在の私の力を10とすればこの魔物は8という所ピヨ!それに今の時期だとどの魔物も初期呪文しか覚えていないだろうし――」
「よし」 グラブは立ち上がった。
壁にかけられていた白衣をハンガーから外した。白衣が何か戦いに必要なのだろうか? 「何だそれは、グラブ」
「白衣は僕の正装だ」
グラブはバッと袖に腕を通して言った。
そんな正装は初めて聞いた。それも彼なりのモットーなのだろうか。これから初めての、その上魔物との闘いに赴こうというのにそれをまるで鎧やプロクテターかのように頼もしげに着用していて、しかも妙に白衣が似合っている。
それから窓際に置いていた私の本を手に取る。 「相手のデータがないのが惜しい所だが…まあ今回は仕方がない」 ぺろりと唇を舐めてから私に言った。 「ま、まず軽く1勝させてやるよ」
この子の自信はどこから来るのか?グラブはすたすたとドアに向かって歩き出している。
「闘いっていうのはパワーやスピードだけが全てじゃない――頭さ。人間も一番知能が高かったから、今日まで生き残ってきた。インテリジェントな闘い方を教えてやる、コーラルQ」
皮肉な事に――この少年を最も思い煩わせている優れすぎた頭脳が、決して揺るがぬ絶対的な自信をもたらしているのもまた事実なのだろう。
私はグラブの背中を見た。あまりにも小さい。
その小さな肩に何を負っているのか、その小さな両手で何を抱えているのか、私は知らない――だから、これから知ろうと思う。
何してるんだ?、グラブがこちらを見る。
「行こう、コーラルQ」
共に歩いて行こう。
「OKだ、グラブ!」
力一杯頷いて、障害物を避けながら私も歩き出した。
グラブとこれから共に歩む、王への道を。






書きかけで長い事放置してたんですがアニメ熱で一気に仕上げました。 いやまだアニメ観てない(ていうか放映されてすらいない)んですが。
最近落ち着いてたのにまた妄想止まらなくなったよママン!夢見がちなお年頃でスンマヘン!

05.5.7


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